職場で号泣した元野村證券YouTuberに聞く「地獄の新人時代と転機」
終身雇用の事実上の崩壊、働き方改革、そして今回の新型コロナウイルスショック。望むと望まざるとにかかわらず、これまで当たり前とされてきた働き方、生き方は変わらざるを得なくなってきています。
そんな令和時代に求められる新たな考え方について情報を発信し、注目を集めるYouTuberがいます。それが宋世羅さん(そん せら・31歳)。
早稲田大学から野村證券に入社し、4年勤めたのち退職。現在は生命保険会社の営業マンとして働く一方、お金に関する情報や野村證券時代のエピソードを発信するYouTubeチャンネル「宋世羅の羅針盤チャンネル」は開始5か月で登録者数8万人を突破しています。
今回はそんな宋さんの経歴をたどり、人気の秘密に迫ってみました。
ディープな大阪の街で生まれ育った
――どのような幼少期を過ごしていたんでしょう?
宋世羅(以下、宋):ディープな大阪の街で生まれ育ちました。小さい頃から、とにかく目立ちたかったし、モテたかった。そう、調子に乗っていましたね。ただ、中学は学級崩壊しているような学校でした。目立っているせいで、不良に目を付けられ、いじめられてしまって……。不良のいない学校に行きたい一心で、勉強し、中の上くらいの高校に入学したんです。
――どんな学校でしたか?
宋:「自主自律」というスローガンのある学校で、校則もなければ、勉強を強制される必要もない、自由な学校でした。そこでエサを与えられた鯉のように、目立とう、モテようとさらに調子に乗ってしまった。野球部にも入っていました。甲子園なんて夢のまた夢、そんな弱小野球部でしたが「俺たちは、俺たちで。まあ、がんばろうや」という感じでとにかく楽しくやっていましたね。
――当時は将来のことを考えていましたか?
宋:私の中では高校に入った段階でいったん終わり。もういいだろうと思っていました。周りの楽しい雰囲気に染まって、将来のことなんて、一切考えていなかったですね。
受験に失敗、現実を知る
――出身は早稲田大学、そんな状況から、何がきっかけで目指そうとしたのですか?
宋:テレビで斎藤佑樹さんを見たからなんです。
――それがなぜ契機に?
宋:3年間遊んでいたので、受かる大学などなく、浪人しました。1年目は仲の良い私を含めた6人組で予備校に通っていたんです。当然のようにほかの5人は朝から晩まで勉強していたんですが、私はなかなか努力をする気になれず。
昼寝をして家に戻って「ドラクエ」をする。親にバレるといけないので、夕方になったらブックオフに行き、夜、疲れたふりをして家に帰る。こんな生活を1年間続けました。 もちろん、偏差値は40くらいのまま。私以外の5人は関関同立など名門に受かるわけですが、私だけ、全て不合格、合格した友人からは距離を置かれました。
私はもともといっちょ前に理想が高い。でも、努力はしたくない。そこからは目を背けている人間でした。あほなんですが、ここで初めて、勝ち組と負け組に分かれるという世の中の現実を知ったんです。
その時、たまたまニュースでカメラの前に立つ斎藤佑樹さんの姿を見ました。実は斎藤さんと私は同い年。かたや予備校に通わせてもらったのに大学に落ち、一方は国民的スーパースター。心臓を揺さぶられたような気持ちになりました。その時に自分も彼と同じステージに立ちたい、だから早稲田に行こう、そう思ったんです。