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博報堂から28歳で独立「1.3億円で港区高輪初のゲストハウスをオープン」

学び

 大手企業をやめて、高学歴を捨てて……自らの手で新たな道を切り拓いてゆく、若き起業家たち。彼、彼女らのエピソードからミレニアル世代の働き方を考える本連載。

南祐貴

ゲストハウス「Koru Takanawa Hostel, Cafe&Bar」の前にて、南祐貴さん

 今回は、新卒で入社した大手広告代理店、博報堂を28歳で退社。現在は東京都港区高輪にゲストハウス「Koru Takanawa Hostel, Cafe&Bar」を構えるKoru-workers株式会社代表の南祐貴さん。

 会社をやめ、株式投資やクラウドファウンディングなどで開業資金3000万円を調達。つい先日、名称募集で話題になった「品川新駅」(仮称)そばに、総額1億3000万円をかけてゲストハウスをオープンする彼に話を聞きました。

「このまま東京に住んで会社員を続けていいのか」

――そもそもどうして起業することになったんですか?

南祐貴(以下、南):会社員時代に旅行したニュージーランドでの体験ですね。

――どのような体験だったのですか?

南:僕は高校の時からラグビーをやっていて、ラグビー観戦ついでにニュージーランド旅行をしたんです。そのとき、目にしたニュージーランドの大自然に心打たれて、「自分はこのまま東京に住んで会社員を続けていいのだろうか」って思ったんです。

――そんなに感動的な光景だったんですか。

南:もっと広い世界を知りたい、もっといろんな人と出会いたいって、けっこう本気で思いましたね。なら会社から出るしかないな、と。ニュージーランドで知り合った宿屋の兄ちゃんも本当に楽しそうで、キラキラ輝いていました。

――それで自分も”民泊”を開きたいと思ったのですか?

南:一般的に大手企業のサラリーマンって、みなさんが想像する以上に狭い世界に生きていて。毎日決まったお客さんと話して、決まった上司と話して……だから、もっと気軽に旅というか、広い世界を知れる場があってもいいと思うんです。

 あと、ここは民泊ではなく港区保健所の厳しい基準をクリアした”ゲストハウス”です。みんなが楽しめる場所を提供したいので、安心して利用できるようにしました。

広告代理店の仕事は「楽しさ3割、ツラさ7割」

南祐貴

「終わりのないトンネルを掘り続けている感覚だった」(南さん)

――ゲストハウスですね、失礼しました。ただ、大手広告代理店勤務なら、クライアント企業や、クリエイターなど出会いの機会は多そうに思えますが。

南:それはクリエイティブ職のイメージですね。僕は営業職でした。広告代理店というと華やかなイメージもあるかもしれませんが、基本はクライアントと、社内の調整役でそれ以外の人との出会いはあまりなかったです。

 あと当時は勤務時間もかなり長かったです。今でこそ電通の高橋まつりさんのことがあって、残業も減ったはずですが、当時は朝9時半から日付変わるまで働いて、終わりのないトンネルを掘り続けている感覚でした。

――そういうとき何が支えになりましたか?

南:同期とのつながりは大きかったですね。この仕事は「楽しさ3割、ツラさ7割」でしたが、その楽しさは基本、会社の同期との人間関係ですね。

 あとは、同期以外にも同世代の友人が早くも成功したりして、彼らの活躍に刺激された部分も大きかったですね。

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