日本はなぜ、ラブホテル大国なのか?秘密は「昔の人の性生活」に
日本のラブホテルの総数は、現在5000軒以上。もはや日本人の性生活と切っても切れない関係にあると言っても過言ではありません。
でも、世界的にはセックスのための施設というのは、かなり独特なのだそう。日本でラブホテルがここまで発展した背景には、庶民の性生活が影響しているようです。
そこで、本企画ではソボクな疑問を、民俗学者の新谷尚紀教授に歴史的な観点から答えてもらいます。最終回となる第3回目は「日本でラブホテルが発達したのはなぜ?」です。
セックスを楽しむ暇もなかった日本の庶民たち
――なぜ日本にはこれほど多くのラブホテルがあるのでしょうか?
新谷尚紀教授(以下、新谷先生):ラブホテルができた背景には、性行為を楽しむことができなかった庶民の歴史があるのでしょう。彼らは、ほんのわずかな時間でも性行為をしたいと考え、かつその状況を強いられてきたのです。
――というと、昔の庶民の暮らしは性行為をする暇もなかったということでしょうか?
新谷先生:性愛の行為を楽しむことができたのは、ある程度階級の高い人たちだけでした。一般庶民は日々の暮らしに追われて、ゆっくり楽しむどころではなかったのですね。1988年頃に静岡県東部の農村で行なったフィールドワークで、こんな話を聞きました。
「セックスはもちろん夫婦の楽しみなのだけど、農作業を朝から晩まですると疲れ果てるわけです。疲れた上で夕飯を食べると、すぐに眠くなってしまうし……。さらに問題なのが、家族三世代がいる家でいつするか、ということ。結局、家族が起きる前、早朝のちょんの間(ほんのわずかな間)しか機会はなく、楽しむどころではなかった」というのです。
――そこまで厳しかったのですね。
新谷先生:また、大分県には玄関に棒を立てる漁村もありました。それは、“いま性行為をしていますよ”というしるし。漁師は夜働くのが基本なので、行為の機会は昼間なんです。「その最中に訪問者があると困る」ということから生まれた暮らしの知恵というわけです。昔ながらの村社会では、地域や生業ごとに生活リズムがあったので、それに適応させた性生活を営んでいたのです。
こういった、わずかな時間の中で性行為をする文化が、セックスのために部屋を短時間賃貸しするラブホテルの成立につながったのではないでしょうか。ラブホテルができる前は、小料理屋の2階で性的なサービスがあったりしました。
――ちなみに、海外では自宅かモーテル(日本のビジネスホテルのような施設)でセックスをするのが一般的なようですね。
有名な四十八手など、性の文化はいつできた?
――海外では「春画」が日本の芸術のひとつとして高く評価されていますが、それでも日本の性文化は発達していなかったのですか?
新谷先生:近世は、江戸などの都市を中心とした比較的裕福な社会で、性愛の文化は発達していたようです。江戸の文芸作品を見ると「四十八手」「床上手」といった、現在に伝わる言葉やテクニックが残っています。さらに「馬鹿夫婦 春画を真似て 手をくじき(春画の体位を試したら、手をくじいてしまった)」なんて、笑ってしまうような川柳もありました(笑)。
また、幕府公認の遊郭・吉原を筆頭に、都市近郊には公私合わせて非常にたくさんの遊女がいました。男性の目線で言えば、性愛を上手に遊べる社会は確かにあったのでしょうが、遊女たちは性病という危険と常に隣り合わせでした。
――近世の性愛の文化は華やかに見える一方で、多くの女性の犠牲の上に成り立っていたということを忘れてはいけないのですね。
新谷先生:近世に発達した性愛の文化は、明治時代に一度分断されてしまいます。これは前回もお話しした通りです。明治以降に見合い結婚が主流になってからは、性行為のテクニックを学ぶ機会がほぼなかった男女が結婚するわけですから、性を楽しむ余裕のなかった田舎はもちろんのこと、性愛の文化が発展しにくい状況にあったと言えるでしょう。
とはいえ、記録にこそ残されていませんが、それなりに工夫された性愛の文化があった可能性も否定はできません。