ツラくても「やりがいのある仕事」なら、頑張れるのは本当か?
仕事に「やりがい」を求めた経験のあるビジネスパーソンは多いだろう。もしかすると、「それこそが最も大切だ」という声もあるかもしれない。
だが、働き方評論家の常見陽平氏は「やりがいだけで働いてはいけない」と警鐘を鳴らす。その真意は何なのだろうか?(以下、常見氏寄稿)
「やりがいのある仕事」は理想の仕事か?
「楽しい仕事なら、やりがいのある仕事なら、辛くても頑張れる」
私はこのような言説に対して疑問を抱く派である。「楽しい」「やりがい」など、俗耳に馴染むキーワードに踊らされてはいけない。
「楽しい仕事」「やりがいのある仕事」は理想の仕事のように思えるだろう。しかし、引いた視点で見ると経営者の都合の良いように踊らされているだけのようにも見える。結果として、長時間労働になり体調を崩すかもしれない。低賃金で使い潰されたのなら、なおさら悲惨だ。
仕事に費やした時間を、他のことに使うという手だってあったはずだ。例えば、「楽しくてやりがいのある仕事」なるもので、1日あたり3~4時間残業していたとしたならば、その何割かでも英会話の勉強や、読書にあてるという選択肢だってあったのではないか?
楽しく働いた20~30代を振り返ると…
たしかに、時間を忘れるほど楽しい仕事、職場というものは存在するものである。私も20~30代の頃は時間を忘れるほど働いた。終電、タクシー帰り、さらには休日出勤も日常茶飯事だった。
ラッキーなことに、若い頃は、ほぼ楽しく働くことができた(そうではない仕事や職場というものもあったのだが)。特に勤務先が出資したベンチャービジネスの立ち上げのために出向した際には、昼夜を分かたず働いた。企業も自分も大きく成長しているという実感を味わうことができた。
宿泊予約サイトの企画担当をしていた頃は、始発で観光地に移動し顧客向けセミナーを行い、その日のうちに東京に戻り深夜まで働くという毎日だった。役得で毎日、観光地に行くこともでき、楽しい日々だった。
採用担当をしていた頃は、企業の顔という誇りと責任があったし、日々、未来のある学生と、社内の経営幹部やエース社員と会い、充実していた。
30代になり、著者デビューしたが、徹夜を繰り返したし、週末も書き続けたが、楽しくてしょうがなく、辛くもなかった。深夜、いや早朝にビールを飲んで乾杯し、仕事を終えるのがささやかな楽しみだった。
もっとも、働きすぎて心身ともに壊れてしまったことは一度や二度ではない。過去を否定してもしょうがないが、仕事に費やした時間を他のことに使うという選択肢もあった。夢中になって取り組んだものの、成果が乏しく結果としては疲弊しただけの仕事もあった。気づけば、歳をとっていた。
もちろん、これまでの歩みを否定してはいけないし、ポジティブに捉え直すこともできる。ただ、「楽しい」「やりがい」なるキーワードで踊らされていただけなのではないかと思う瞬間はある。