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雑誌全盛期を駆け抜けた「風俗ライター」の意外な半生

コラム

松沢呉一」という名前を聞いてピンと来る人は、ある一定の年齢層の人間か、相当のサブカル好きだろう。正直、私(筆者)も編集長から教えてもらうまで、まったく知らなかった。

 1958年生まれの松沢氏は、風俗ライターとして主に1990年代に活躍。ヘヴィメタル専門の音楽雑誌『BURRN!』で1993~2001年まで連載していたコラム「アナルは負けず嫌い」をまとめた著書『ぐろぐろ』(ちくま文庫)が2014年に復刊し、話題となった。

 さらっと書いてしまったが、「アナルは負けず嫌い」というのもすごいタイトルである。SM、男性器、女性器、食便、飲尿、ゴキブリ、性病、怪談などあらゆるエログロを詰め込んだ伝説的奇書である。

フリーランス

 雑誌全盛期を駆け抜けたベテランライターが語る、フリーランスの生き方とは何なのか。じっくり聞いてみた。

新卒で時代の花形だったパルコに就職

 松沢氏は愛知県生まれ。3歳で北海道札幌市へ引っ越し、小学校と中学校時代を過ごすと、高校で再び愛知県名古屋市に戻った。そして早稲田大学法学部への進学を機に、東京へと移住した。

 大学卒業後は株式会社パルコに就職。1980年代のパルコと言えば、最先端のファッションや若者文化を生み出す存在であり、時代の花形とも言えるものだった。

「面接のときに入社の条件として『出版以外は興味ないです』と伝えていたから、最初は出版部門に配属されました。

 当時のパルコは、ファッションビジネス情報誌『月刊アクロス』(現在はウェブに移行)を発行していたけど、研修中に出版の仕事は地味だから合わないって感じて、セールスプロモーション(SP)局へと異動願いを出した。今考えると、当時のオレは出版にどんな幻想を抱いていたのか謎です」

机にじっとできず、サラリーマン不合格

松沢呉一

松沢呉一さん

 その後、希望通りにSP局へと異動し、パルコ内でのイベントや展覧会の企画を行うことになった松沢氏。それにしても、そんな理由で入社したり異動したりできるなんて、バブル期はなんと若者に甘い時代だったのだろう(もちろん松沢氏の能力の高さもあったとは思うが)。

 SP局では、才能あふれるクリエイターやイラストーター(スージー甘金氏、根元敬氏、蛭子能収氏など)を招いて展覧会を行ったり、イベントを担当するなど、充実した会社員生活を送っていた。だが、それも1年ほどで辞めてしまった。

「明らかにオレが悪いんだけど、どうやら自分は多動症みたいで、オフィスの机にじっとしていられない。30分ぐらい構わないだろうと思って、フラっと散歩して戻って来ると、上司からすごく叱られた。スーツやネクタイをきっちり締めるのも苦手でしたし、遅刻も多かった。いつの時代もクラスに1人ぐらい、集団に馴染めないヤツっているんですよ」

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