人気コンビ・三四郎「“変な漫才”扱いでテレビに出られない」下積み時代の苦労
滑舌の悪い小宮浩信さん(35歳)と、美声で独特なボケを繰り出す相田周二さん(35歳)からなるお笑いコンビ・三四郎。
芸歴13年目を迎え、いまやテレビやラジオに引っ張りだこの2人に、下積み時代の挫折、そこから這い上がる処世術、そして10年後・20年後の三四郎について語ってもらいました。
2人で歩み出した芸人の道
――お二人は成城学園中学校・高校の同級生でしたよね。コンビを組んだきっかけは?
小宮浩信(以下、小宮):高校の文化祭で相田と初めて漫才をやって、それがめちゃくちゃウケたんですよ。そのときに周りから褒められたという快感が忘れられなくて。
相田周二(以下、相田):僕も前からお笑いは好きで、ダウンタウンさんとかM-1の笑い飯さん、千鳥さん、アンタッチャブルさんの漫才とかはよく見ていました。それで小宮から養成所に入ろうって誘われたんで、やってみようと。
――高校を1年留年して卒業し、フリーターだった小宮さんが相田さんを誘うかたちでスクールJCA(芸能事務所・人力舎のタレント養成所)に入学したお二人。当初から「お笑いで売れるぞ」みたいな覚悟があったのですか?
小宮:養成所に入ったときは「自分は絶対にお笑いでやっていくんだ」と思ってましたね。でも養成所のみんなとことごとく話が合わなくて「大丈夫かな、僕面白くないのかな?」ってすごく不安になりました。でも入学から半年くらいして養成所ライブでみんなのネタを観たらめちゃくちゃ滑ってたんですよ。
もともと自信はなかったけど、それで少し自信がついたというか。お笑いの養成所だから、芸人になる覚悟を決めた全国の面白い人たちが集まってるのかと思ったら、1週間でやめちゃったりする人も多かった。そんな志の人だったから話が合わなかったのかなと思いましたね。
相田:その養成所のライブで3回連続くらいで1位を取らせてもらったことがあって、それが割と最初の自信には繋がりましたね。でもそれから急に順位が下がってきたりすると不安で仕方なかったです。養成所ライブの順位くらいしか他の芸人と比べるベクトルがなかったから。養成所間の対抗戦みたいなものもあるんですが、それに出るのも養成所のライブで上位に入らなくてはいけなかったので。
1週間だけ解散の理由。そして再結成
――お二人は一度解散されていると聞きましたが、それはなぜ?
小宮:養成所ライブの順位が落ちてきたのと、他の養成所との対抗戦でオリエンタルラジオだったり、同期のすごく面白い人を見たりして、このまま普通のことをやっていてもしょうがないな、どうしたらいいのかな、と悩んでいる時期ではありましたね。
――そこからまた今の「三四郎」に戻られたのは?
小宮:今までと一緒ではダメだと思って、ツッコミとボケを逆にしたんです。そのときブレイクしていたおぎやはぎさんとかサンドウィッチマンさんとかを見ていて、ツッコミが目立つコンビが主流になってきてると感じていたので、これならいけるかもしれないと。そこから僕がツッコミで相田がボケという今の形になりました。
相田:まあ、解散といっても1週間くらいしか離れていなかったんですけどね(笑)。解散したときはお笑いはやめるつもりでした。そのときはまだ大学と並行して養成所に通っていたので、無気力のまま大学に行ってて、でもまた声をかけられたんで養成所に行き始めました。