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本場仕込みの「ディージェイ、ケオリ~」が生まれたワケをDJ KAORI本人に聞く

暮らし

 クラブやイベントの雰囲気に合わせた音楽を選曲し、会場を盛り上げるDJ。有名クラブの閉鎖やフェスの中止などが相次いだコロナ禍だが、ワクチン接種が進んだ昨今はクラブシーンにも日常が戻りつつある。

 1990年代に単身ニューヨークに渡り、一流セレブ主催のプライベートパーティーでDJを務めたり、ワールドワイドにDJ行脚したりするなど、長年日本のDJシーンをリードしてきたのがDJ KAORIさんだ。

DJ KAORI

今年で日本デビューから23年目を迎えるDJ KAORIさん

 華麗なる活躍ぶりはニューヨーク・タイムズの紙面を飾るなど、一気にスターダムを駆け上がった。日本では2000年にデビューを飾ると、独自にヒット曲を選曲した「MIX CD(ミックスCD)」が人気を呼び、大ブレイクを見せる

 常に業界の最前線で活躍する、まさに“レジェンド”の名にふさわしいDJ KAORIさんに、これまで歩んできたキャリアの変遷や、DJシーンの未来について語ってもらった。

観光目的で訪れたニューヨーク

 14歳の頃からレコード収集にハマり、独学でDJにも挑戦するなど、昔から音楽が大好きだったというDJ KAORIさん。「ニューヨークに渡航したのは、日本に売っていないレアなレコードを買い集めるためで、最初は観光目的だった」と当時を振り返る。

「日本だと値が張るレコードでも、ニューヨークでは25セントから1ドルで買えたりと、音楽好きの自分にとってはとても衝撃的で。お気に入りのレコードを探すだけでも楽しめる場所だなと感じていました。加えて現地のクラブでも、音楽でみんながひとつになっていた雰囲気がすごく印象的でした。

 当時の日本のクラブだと、あくまで飲みの延長線みたいな感覚なのに対し、ニューヨークでは音楽をハブにして、いろんな人と繋がるきっかけになる。こうしたカルチャーショックや、1日中、音楽であふれている街の雰囲気に惹かれ、『ニューヨークに住んでみたい』と考えるようになりました

現地に住んでキャリアをスタート

DJ KAORI

DJ KAORIさんがニューヨークでDJプレイしていた頃の写真

 しかしその頃は、今のようにSNSはおろかインターネットすら発達していない。治安が決していいとは呼べない街だが、それでも単身ニューヨークに移り住むことができたのは「現地には音楽好きの日本人コミュニティがあり、その存在がとても大きかった」と話す。

「日本人コミュニティには、のちに日本のヒップホップシーンを代表するグループ『BUDDHA BRAND』の故DEV LARGEさんがいて、とても仲良くしてくれたおかげで、ニューヨークへ住む決意ができたと感じています。現地では、語学とサウンドエンジニアの学校に通いながら、夜はクラブやイベントに顔を出すようになりました」

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