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豊臣秀吉の「一夜城」は本当か?現代の技術でも不可能な“歴史の真偽”を検証

コラム

天下を平定した後の秀吉は…

墓

 文禄4(1595)年、前田利家の娘で養女にしていた豪姫が病気になったとき、狐憑きが原因だと判断した秀吉は、五奉行の石田三成と増田長盛を伏見稲荷大社に遣わし、稲荷大明神宛に、次のような朱印状を差し出しています。

≪宇喜多秀家の妻・豪姫が産後に病にかかり、物怪が憑いたようだ。どうも野狐の仕業だと思われるので、この朱印状を差し出すことにした。この日本において誰が公儀である私のことを軽んじることができようか。誰が私の意志を重んじないことができようか。ましてや畜類においてはなおさらである。

 さあ、速やかに彼女の身体の中から退去せよ。この朱印状を発したにもかかわらず、まだ付きまとい、彼女に何か不慮のことが起こったら、伏見稲荷大社を即時に破壊し、さらに狐狩りを毎年おこなわせ、日本国中の狐をことごとく殺し尽くし、その種を絶つつもりである。このことをよくよく承知し、神官たちは祈禱に励むように≫

 それにしても、神に向かって脅しをかけるとは、驚くべき傲慢さですね。わずか8年で天下を平定した後の秀吉は、慢心誇大妄想状態になったようです。いずれにしても神罰がくだったのか、ちょうど1年後の5月から病に伏せるようになり、次第に病状は重くなり、ついにそれから数か月後に63歳で死去してしまいました。

<TEXT/河合敦(歴史研究家)×房野史典(吉本芸人)>

【河合敦(かわいあつし)】
歴史研究家・歴史作家・多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1965年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。 早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす

房野史典(ぼうの ふみのり)
1980年岡山県生まれ。名古屋学院大学卒業。お笑いコンビ「ブロードキャスト!!」のツッコミ担当。無類の戦国好きで、歴史好き芸人ユニット「ロクモンジャー」を結成するなど、意欲的に歴史普及活動を行っている。子どもたちに歴史の面白さを教える授業(YouTube「STUDY FREAK」など)も好評で、歴史専門家からの信頼も厚い

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