bizSPA!

豊臣秀吉の「一夜城」は本当か?現代の技術でも不可能な“歴史の真偽”を検証

コラム

元から雨が溜まりやすい場所だった

 つまり、高松城周辺は山と自然堤防によって四方を囲まれており、元から雨が溜まりやすい場所だったわけで、それゆえの沼地や湿地だったんです。自然堤防と山の突端(蛙ヶ鼻)の間には「水越」と呼ばれる300メートルほどの隙間がありまして、溜まった水はここを通って流れていったんです。

 ということは……。堤防が必要だったのは「水越」の部分だけ。ここを塞いでしまえば、高松城一帯に水を留めることができた、というわけですね。最近の研究によると備中高松城の水攻めに際して秀吉が造った堤防は、「3キロではなく、その10分の1の“約300メートル”だった」と言われています。

 さて、お届けした話はほんの一例ですが、秀吉の紹介が長くなる理由をわかっていただけたでしょうか。

人の魅力は二面性とは言うものの…

面白すぎる!日本史の授業: 超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす

面白すぎる!日本史の授業: 超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす(あさ出版)

 秀吉って明るくて機転が利いて、賑やかな人っていうイメージがありますよね。人を魅了するので、「人たらし」とも言われています。でも、それはのちにつくられた秀吉の伝記『太閤記』などの影響なのです。当時の一次史料には、秀吉の人物像を詳しく書いたものは存在しません

 ただ、秀吉の自筆の手紙はけっこう残っていて、特に親族に対しては愛情深い、心遣いの細やかな人でした。たとえば、正室のねねに宛てた天正13(1585)年の秀吉の手紙が残っています。実はこれ、ねねの便秘に関する手紙なのです。秀吉はなんと、自分の奥さんの便秘を心配してあげているのです。なんとも微笑ましいですね。

 ただ、それで秀吉という人物を判断するのは早とちりというもの。確かに優しいところもありましたが、相当ヤバいやつなのです。

面白すぎる!日本史の授業: 超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす

面白すぎる!日本史の授業: 超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす

変わりゆく日本史を歴史芸人・房野史典氏が超現代語訳でおもしろく、そしてNHK歴史探偵でおなじみ河合敦先生が最新歴史研究からアカデミックに洗いなおす

人気タグ

おすすめ記事

河合敦・房野史典は他にもこんな記事を書いています