マカロンブーム火付け役として25年。「ピエール・エルメ」トップに聞く、コロナ危機の奮闘
ティータイムや食後のデザートとしてぴったりなスイーツ。安価で気軽に買えるコンビニスイーツから本格派のデパ地下スイーツ、ホテルやレストラン、専門店ならではの高級スイーツなど、一口にスイーツと言ってもさまざまな種類が存在している。
そんななか、独自のオート・パティスリー(高級菓子)というジャンルを確立したフランス菓子ブランドが「PIERRE HERMÉ PARIS(ピエール・エルメ・パリ)」。独創的かつ斬新なスイーツを次々と生み出し、2023年で25周年を迎える。
日本1号店を皮切りに世界へとその名を広げ、不動の地位を築いた理由や、コロナ禍の危機を乗り越えた奮闘についてPH PARIS JAPON株式会社 代表取締役社長のリシャール・ルデュ氏に話を聞いた。
伝統的なフランスのお菓子に付加価値を
もともとリシャール氏は、フランスで料理人としてキャリアを積み、1995年に“パティスリー界のピカソ”と称されるピエール・エルメ氏と出会った。
「スイーツに胡椒を使ったり、チョコレートに塩をアクセントに加えたりと、ピエール・エルメのユニークな製菓法やフレーバーの創作に興味を惹かれた」とリシャール氏はその当時を振り返る。
「その頃のフランスには、街中に高級ホテルやレストランは点在していましたが、高級スイーツ専門店はほとんどありませんでした。マカロンやカヌレといったフランスの伝統的なお菓子は庶民的というか、フランス人が気兼ねなく普段から食べるものでしたが、『クラシックなフランスのお菓子に、もっと付加価値をつけたい』と感じていました。そんな矢先に、日本の老舗であるホテルニューオータニから『フランス菓子のプロモーションをやりたい』とお声がけしてもらったのです」
感度の高い日本人女性の支持を得るために
日本とフランスでは、以前から食の交流が盛んに行われており、フランス料理のシェフが来日することもしばしあった。リシャール氏も何度か訪日した経験があったというが、そのときに「女性に憧れられるブランドを創る必要がある」と感じたそうだ。
「レストランやホテルでフランス料理のイベントを開いた際も、ほとんどが女性のお客様で、日本でフランスの食の魅力を伝えるためには、感度の高い日本の女性にどう支持されるかをしっかりと考える必要がある、そう思ったのです」