年収186億円!「カタールW杯得点王」エムバペの“恐るべき幼少期のエピソード”
生まれつきのドリブラー
6歳になって、キリアンはついにASボンディ入りを認められた。最初のコーチは父親だった。アイルーシュは言う。
「ウィルは寛大で、ハードワーカーで公正な人物だ。奥さんのファイザも同じだよ。彼らはいつも一緒で、2人で一組だったからね。あの夫婦は、息子にしてあげていたことはクラブの子供たちに対しても同じようにしてあげていたさ。ファイザはいつも私に言っていたよ。『もし家を買うなら、ここの子供たちがいつでもフットボールを楽しめるように大きなピッチがあるところがいい』とね。
今はパリへ引っ越してしまったけれど、付き合いは続いているよ。会うたびに、『もしクラブで何か必要なものがあれば、私たちはいつでも助けますから』と言ってくれるんだ。もう100回以上聞いたよ。信じられないくらい寛大な夫婦だよ。キリアンのおかげで、うちのクラブの子供たちは全員ナイキのギアを与えられていることも忘れてはいけないね」
一緒にプレーした子供の父親が証言する
ウィルフリードは、息子にとってどのようなコーチだったのか? キリアンと一緒にプレーしたことのある子供の父親が証言する。
「身びいきはせず、息子だけ特別扱いすることは一切なかったな。キリアンのためになると判断すれば、厳しく当たることに何のためらいも見せなかった。指導は厳しかったけど、それはほかの子供たちに対しても同じだった。本物の指導者だったし、このクラブの一員として誰からも愛されていたよ」
最初は選手として、今ではU―15の責任者として10年以上もASボンディに在籍しているアントニオ・リッカルディは、長年、エムバペ親子をそばで見てきた。ちょうど練習を終えたばかりの子供たちが出入りする小さな更衣室で、キリアンを教え始めた頃のことを振り返り始めた。