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サッカー公式戦に出場した「最年長の選手」は?驚きの年齢でゴールキーパーに

コラム

スペインでも「元祖PK」を主張する人が

 ところがスペインでは、1962年のラモン・デ・カランザ杯中に、ラファエル・バレステルというカディスのジャーナリストが両チーム5本ずつのPKによる決着を提案したのが最初だと主張している。バレステルは試合の運命を紙によるくじ引き、もしくはコイントスで決める慣習を撤廃したいと考え、このアイデアを提案した

 しかし、ヴァルトとバレステルが提出した案は、すでにそれ以前からヨーロッパのほかの大会で採用されていた。1959年のスイスの地域対抗ユーストーナメントや、1958年~1959年のコッパ・イタリアなどがその一例で、コッパ・イタリアで行われたのは1度だけで、1回戦でFCトレヴィーゾがSSメストレを5対4で破った。

 さらには、このシステムが取り入れられた初めての選手権は、1952年のユーゴスラヴィアカップだということを裏付ける資料もある。その大会の1回戦では4試合がPK戦で決着した。そのうちの最初の試合では、ラヴノセロのプロレターがマケドニアの首都スコピエのガーニゾンJNAを3対2で下した。あいにく、こんにちでは誰もが知っているこの決着方式の発案者の名前は、資料に記されていない。

23:公式戦に出場した最年長の選手は?

ワールドカップ サッカー

 エジプトのゴールキーパーのエサム・エル゠ハダリは、何とも面白い記録の持ち主だ。2018年にロシアで開催されたワールドカップのサウジアラビア戦に、彼は45歳と161日で出場した。予選まで含めると、エル゠ハダリの年齢を上回るのがアメリカ領ヴァージン諸島のマクドナルド・テイラーで、2004年に行われた2006年のワールドカップ予選のセントクリストファー・ネイヴィス戦に46歳と217日で出場した。

 ウルグアイのロベルト・カルモナはモンテビデオの下部リーグで現役としてのプレイを続けていて、1962年の生まれなので60歳だ。これはイギリスのスタンレー・マシューズが1965年にストーク・シティFCで引退を表明した年齢を10歳も上回る。マシューズはバロンドールの初代受賞者で、1956年に「黄金のボール」を受け取った時の年齢は41歳だった。

 輝かしい実績にもかかわらず、これらの名選手たちでも最年長記録には遠く及ばず、更新するのは非常に難しいだろう。

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