自衛隊の幹部候補生学校で学んだ、死ぬほど辛い時に守りたい「3つの習慣」
学校を卒業するが疑問は残ったまま
私は自分が目指していた理想と大きく離れていく気持ちや、どう考えても向いていないという考えを「いつかは向いてくるから…」「安定しているから…」と言い聞かせて覆い隠すことにしました。とにかく自衛隊にいれば三食を食べることができ、生活できる。それで満足することが大人じゃないか、人生じゃないか、と。そう自分に言い聞かせて乗り越えることにしたのです。
確かに同期は気のいいヤツが多く、教官は熱心でした。だからこそ、心の中がライトアップされ、本音が影のようにまとわりつくようになっていたのです。そうした気持ちがありつつも、鬼教官の厳しくも温かい指導、同期の助けもあり、私は卒業しました。
「幹部自衛官として向いてないかも…」という疑問は残りましたが、実際問題やってみないとわからないとも思っていました。そうして私は初任地へ小隊長として着任しました。当時の私は「防大卒のエリート」という肩書きだけが先行し、幹部自衛官になんとかなっても、実際のところは葛藤の連続だったのです。
試練を乗り越えても、違う試練と悩みが…
残念ながら幹部任官後も苦労が絶えませんでした。「部隊勤務に比べたら、幹部候補生学校なんて…」とまたしても思ったのです。試練を乗り越えても、違う試練と悩みが「こんにちは」とやってくるのが、私の自衛隊生活でした。
当時の私は右も左もわからない新米将校でした。そして「得意なことは得意」「苦手なことは苦手」という生来の不器用さが立ちはだかったのです。私は幹部自衛官として指揮し、責任を負う立場でしたが、新米幹部よりも部下のベテラン隊員のほうが仕事ができるのは当たり前でした。
また陸上自衛隊には一癖も二癖もある職人のような隊員もいるので、「俺はアンタの指示には従えない!」と言う大工の頑固親父のような人もいました。その道20年のベテランに新米ホヤホヤの私が指揮を出せば当たり前でしょう。そして私には幹部自衛官として致命的な弱点がいくつかありました。
「方向音痴」「みんなの前に立つことが苦手」「フォーマルな文章作成が苦手」「整理整頓が苦手」など「自衛官以前にそもそも公務員に向いていなんじゃないか疑惑」がありましたが、そこは気合いと根性でなんとかすることにしました。