子供を殺されても許す。元海軍大将がアフガニスタンの“老人”から学んだこと
どんな理由でも不快な行動は?責すべき?
しかし、全ての許すという行為が、このような憎むべきことを前提にする必要はない。現代社会では、人は簡単に腹を立てる。すぐに怒って、どんな理由であっても不快な行動をすぐに叱責するべきだと考える人もいる。どんなヒーローでも一番難しいことは、許すことだ。許すことよりも、丘を襲撃したり、火の中で戦ったり、銃を持った狂人を止めるほうが簡単だ。
許すことは難しい。なぜなら私たちは恐れているからだ。許すことで、自分を突き動かしていた怒りが消えることや、憎しみという闘志がなくなることや、不当な扱いを受けたと憤る正当な理由が奪われることを恐れているのだ。
私たちはとにかく不公平さや不満に対する憤りを感じ、その怒りを利用したいのだ。激しい憤りがあれば加害者への攻撃が正当化されると考えている。規模に関わらず、報復が心を癒やしてくれると思っているのだ。
「許し」は人格を計り知れないほど強化する
しかし、そんなものはわたしたちを癒やしたりはしない。キリストは十字架に釘付けにされ、鞭打たれ死にゆく時、天を仰いで言った。「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているかわかっていないのです」
許すことは決して簡単ではない。許すには強さが必要だからだ。しかし、許すという行為は、あなたの人格を計り知れないほど強化してくれる。そして許しは多くの人から憎しみを取り除くことができる。被害者(ヴィクティム)ではなく、勝者(ヴィクター)になるのだ。許すことを学ぶのだ。
【HERO CODE】
恨みがどんなに大きくても小さくても、許す努力をすること。被害者(ヴィクティム)ではなく、勝者(ヴィクター)になろう。
<TEXT/ウィリアム・H・マクレイヴン(WILLIAM H. McRAVEN) 訳/椎川乃雅>