子供を殺されても許す。元海軍大将がアフガニスタンの“老人”から学んだこと
「私たちにはとても大切な共通点があります」
「しかし、私たちには一つだけ、とても大切な共通点があります」と私は言った。「私たちはともに、大きな愛と慈悲を示す神を信じています。私は今日、あなたのために祈ります。あなたが悲しみの中にあっても、神があなたに愛と慈しみを示し、あなたの痛みを和らげてくださるように祈ります。また、この恐ろしい悲劇を起こした私と私の部下にも神が慈悲を与えてくださることを祈ります」
父親と息子の痛みは想像を絶するものだっただろう。私は話を続けるのがやっとだった。
父親が少しうなずいた。私はもう一度、彼らに許しを請うた。息子は父親に近づき、耳元で何かをささやいた。息子の怒りの表情は和らいでいた。目の中の燃えるような怒りも消えていた。息子が父親の言葉を代弁し、イマームが通訳をした。
「ありがとうございました」と息子は言った。「あなたへの怒りや憎しみは全て水に流します」
あなたへの怒りや憎しみは全て水に流します。これこそが許しの本質なのだ。その日、ガルデスの村を後にした時、私は心の重圧が取り除かれたような気がした。それ以上に、許すという意味を改めて理解することができた。この父親が私にしてくれたように、私も誰かに慈悲を与えることができる時が来ることを、そして、いつの日か、私もこの人のような立派な人間になりたいと願った。
9人殺害した白人至上主義者を被害者が許したワケ
黒人の信徒が集まるサウスカロライナ州チャールストンにある「エマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピコパル教会」で、白人至上主義者のディラン・ルーフが黒人信者9人を殺害した事件があった。その後、彼が法廷に立ったとき、被害者の家族はそれぞれ順番にルーフの凶悪で理解しがたい犯罪に対してこう言った。
「私はあなたを許します。そしてあなたの魂に慈悲を与えます」
彼らは、ルーフを許すことで、彼への怒りが自分たちの苦しみにならないようにしたのだ。パリのソルボンヌ大学の哲学教授であるアンドレ・コント・スポンビルは、「許しのポイントは、他人に憎しみを克服させることができないのなら、自分自身の憎しみを克服すること。他人を制御できないのなら、自分を制御すること。少なくとも自分の中の悪や憎しみに打ち勝ち、悪の連鎖を産まないこと。加害者にも被害者にもならないことだ」と彼の著書で書いている。
イギリスの文豪、哲学者、神学者であるギルバート・キース・チェスタトンはかつて、「愛するとは、およそ愛せないものに愛を注ぐこと。許しとは、許されざるものを許すこと」としている。
ディラン・ルーフの行為は許しがたいものだが、遺族たちは彼を許すことで、この卑劣な行為が生み出す憎悪の念から自らを解放したのだ。彼らは憎み続ける被害者(ヴィクティム)から、許しを与える勝者(ヴィクター)となったのだ。