“国民的ヒーロー”になった元米国空軍准将が苦労して得た「学び」の正体
キリストの教えから学んだ「謙虚さ」
後にわかったことだが、チャーリー・デュークの謙虚さは、苦労して得たものだった。月面着陸の後、彼は国民的英雄となり、富と名声を手に入れたが、そのせいで家族や夫婦関係はギクシャクしてしまった。しかし、チャーリーとドッティがキリスト教に入信したことで、全てが変わった。
彼らはキリストの教えから謙虚さを学んだのだ。宇宙の広大さ、自然の計り知れない複雑さ、人類の進化の壮大な物語の中では、たとえ月面を歩くような偉業でも、神の御業に比べれば取るに足らないことだと知ったのだ。マタイによる福音書23章12節でイエスは、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と教えている。
しかし、謙虚さの美徳を讃えているのはキリスト教だけではない。コーランでは、「慈悲深き神のしもべたちとは、謙虚に地上を歩く者である」と教えている。旧約聖書の箴言(しんげん)11章2節には、「高慢には軽蔑が伴い、謙遜には知恵が伴う」とある。孔子は「謙虚さは衆善の基本である」と言っている。
ヒンズー教では、「謙虚な人だけが他人の良いところを認め、賞賛することができる」と信じられており、仏陀は「自分が常に正しいと思っていると、人生から何も学べない」と言っている。ギリシャの哲学者ソクラテスも、自分はギリシャで最も賢い人間だと豪語していたが、それは“人間の知恵は神に比べればなんの価値もない”ことを知っていたからだ。
ヒーローの役割は人々を分断させることではない
謙虚さは、ヒーローのあらゆる資質の中で最も単純なものでありながら、最も表現しにくいものである。謙虚になるということは、自身の持つ知性、強さ、富などは、宇宙の壮大さ、複雑さ、豊かさ、力強さに比べれば、ちっぽけなものだということを知ることである。そして、その宇宙の中で自分の置かれた立場を謙虚に受け止めることができれば、我々人間には大した差がないことに気づくだろう。
物事を理解することも、小さな困難も乗り越えることも人間にとっては同様に難しいことを知るだろう。無知を自覚し、目に見えないものに対して敬意を持つことで謙虚さは生まれる。そして、このような謙虚な姿勢でいれば、私たちはもっと自分の周りにある美しさに感謝することができる。顕微鏡を覗き込んだり星を眺めたりして畏怖したり、ちょっとした親切に心を動かされたりするだろう。
そして、自分がそうしてほしいように、人に対して思いやりを持った接し方ができるようになるだろう。謙虚さには人を団結させる力がある。ヒーローの役割は人々を分断させることではなく、人々を繋ぐことだ。謙虚であれ。きっとそれはあなたのためになるだろう。
【HERO CODE】
自分の知性、理解力、強さの限界を知り、謙虚であるよう努めよう。
<TEXT/ウィリアム・H・マクレイヴン(WILLIAM H. McRAVEN) 訳/椎川乃雅>