30歳で海外起業した日本人美容師。接客は「あえて強めの態度」という異国事情
人を大切にする想いのルーツ
1978年、里永子さんは福岡県で生まれた。12歳のころ、元幼稚園の先生だった母は他界。警察官の父が、男手ひとつで兄と里永子さんを育てた。九州男児の父は、言葉にはださないが、母をとても大切にしていた。仕事がどれだけ忙しくても、毎日、母の入院先へたった10分だろうが会いに行き、往復2時間の道のりを帰ってきては子どもたちのご飯を作ってくれた。
「仕事、家事、育児を愚痴も弱音も吐かず、すべてこなす父の姿を見て、すごいなぁと幼心に思っていました。海外に出て、心が折れず強い気持ちでいれたのも、父の強さを近くで見てきたからだと思います」
母の死と父の姿を通し、「人を大切にする」想いが、自然と身に染みついたという。 小さいころからファッションや人の観察が好きだった里永子さんの美容師への道は、18歳に始まる。高校を卒業し、昔ながらの寮制度がある地元の美容室に住み込みで働き始めるも「あれ? これはわたしがなりたい美容師じゃないぞ……」と理想像を求め、すぐに辞めた。
なぜわざわざ厳しい場所に行くの?
その後、フランス人経営の美容専門学校に通い、クリエイティブな技術を学ぶ。無認可校だったこともあり、通信制で国家試験をとるための勉強もした。
そして福岡の天神にある大手美容室に入社。徐々にスタイリストとしての地位を確立し、収入も生活も安定していった。大手美容室では、パリコレやヴィダル・サスーンの講習に積極的に参加させてもらえた。それがきっかけでヨーロッパに住んでみたいと憧れを持つようになる。
「当時、『ファッションデザイナーはパリ、美容師はロンドン』だと言われていて、『行くならロンドンだ』と、行き先を決めました」。これからのために英語が話せると思ったのもロンドン行きを決めた理由のひとつだという。
周囲からの「仕事が安定しているのに、なぜわざわざ厳しい場所に行くの?」という声もどこ吹く風。2003年3月、24歳の里永子さんはヒースロー空港に降り立った。