財務官僚を今も苦しめる「馬場財政」の悪夢。戦時を生きた“偉大な総理”の実像
浮気が発覚した池田の首根っ子をつかんで…
ちなみに宮澤喜一によると「たぶん当時の世の中では、広澤さんの娘さんをもらっておいて、親類の娘と一緒になってしまって申し訳ない、と池田さんのご両親は考えたんでしょうね」(御厨貴・中村隆英編『聞き書 宮澤喜一回顧録』岩波書店、二〇〇五年、二十七頁)。
また後妻の満枝夫人は控えめな賢夫人で、元池田派代議士による証言によると「難病が治癒したあと二人は挙式したが、挙式に満枝夫人はあえて亡き直子さんの振り袖を着て出たんです。池田の身代わりで亡くなったと、前妻への哀悼、感謝の気持ちだった」とあります。
また「満枝夫人の思いから池田邸には亡きこの前妻の写真が飾ってあり、さすがの池田も『もういいから、あれをはずしてくれんか』と言っていた」そうです(小林吉弥『宰相と怪妻・猛妻・女傑の戦後史:政治の裏に女の力あり』だいわ文庫、二〇〇七年、六三~六四頁)。
そんな満枝夫人ですから、「直子」の名をつけることにも理解を示したのでしょう。ところが、こんな貞淑な満枝を妻に持ちながら、池田が浮気をしたことがあります。それを知った満枝さんは、家に帰ってきた池田を風呂場に連れていき、池田の首根っ子をつかんで、湯船に頭を突っ込んだとか。満枝さんの気持ちはよくわかります。
第4回⇒宮澤喜一にすら小馬鹿にされた…“戦後最も偉大な総理大臣”の不遇すぎる前半生に続く
<TEXT/憲政史研究者 倉山満>