財務官僚を今も苦しめる「馬場財政」の悪夢。戦時を生きた“偉大な総理”の実像
軍拡路線を生み出した「馬場人事・財政」
昭和十一(一九三六)年には、二・二六事件という重大事件が起きます。大蔵省にも大激震が走ります。
二・二六事件では、高橋是清大蔵大臣が殺されました。後継の大蔵大臣は馬場鍈一です。この馬場が現状維持の広田首相の取り巻き連中と現状打破を求める陸軍との間でマッチポンプをやりながら、自由主義閣僚を排撃し、軍拡路線を軸とする組閣を仕切りました(『大蔵省史』第二巻(大蔵省財政金融研究所財政史室、一九九八年)および『検証 財務省の近現代史』)。
そして、馬場が大蔵大臣になって真っ先に行ったのは、高橋人事の一掃です。津島寿一次官は退任し、高橋是清の「三羽烏」といわれた賀屋興宣主計局長、石渡荘太郎主税局長、青木一男理財局長の三局長を、一斉に左遷しました。
このように省内人事を壟断(ろうだん)した後、自分の言いなりになる子分で周囲を固めて、準戦時体制予算を作成しました。この頃、満洲事変(昭和六~八年)はもう片づいているし、支那事変(昭和十二年~)はまだ始まっていません。戦時ではないので準戦時です。なお、『大蔵省史』第二巻にも「準戦時体制下の大蔵省」という章が設けられ、増税と統制経済を推進する馬場蔵相への筆誅がこれでもかと書き連ねられています。
愚かさ加減を累乗したような改訂
悪名高い、「帝国国防方針」が改訂されたのもこの年です。どれくらい悪名高いか。「悪」など過大評価で、「愚」の極みです。明治末期に定められた「帝国国防方針」では、陸軍がロシア(後にソ連)、海軍がアメリカを仮想敵国としており、米露両国と同時に戦争するような気宇壮大な作文が書き連ねられています。
日露戦争直後に本気でそんな気などなく、陸軍がロシアへの警戒で予算を要求したので、自分の予算が削られたら困る海軍が「アメリカとの関係が悪化している!」などと言い出し、どっちかに決めたらメンツが潰れるので、妥協案として両方を敵にすることにしました。
この時点でいい加減に愚かなのですが、昭和期には本当にその両国との関係が悪化します。そんな時に昭和十一年の改訂で、「陸軍は中国も!」「だったら海軍はイギリスも!」と仮想敵を追加し、本当に米英ソ中の周辺四か国すべてとの関係が緊張、軍事予算が必要になるという、愚かさ加減を累乗したような改訂が行われました。
そもそも、陸軍と海軍で仮想敵が違う時点で国家としてどうかしているのですが、そんな陸海軍を抑えていた実力者の高橋是清は亡く、陸軍の手先どころか、陸海軍全体を煽るような馬場鍈一が蔵相として、大蔵省を振り回します。