コロナで一時は売上95%減、老舗の挑戦。“マリトッツォ風カエルまんじゅう”大ヒットのわけ
「老舗だから安定した商売ができる時代」はとっくの昔になくなってしまった。高齢化による跡取り問題に加え、若手の育成強化ができず、経営基盤の脆弱さが浮き彫りとなったのだ。
そして、そこへ付け込んだかのように猛威を振るった新型コロナウイルス。いわゆる「老舗企業」が次々と飲み込まれてしまった。「東京商工リサーチ」は2020年倒産した企業は7773件で、そのうち業歴が判明した6591件を分析。その結果、30年以上の老舗企業が2147件も倒産しているという。コロナ禍で倒産した企業は、跡取り問題に加え、業績低迷や資金繰りに余裕なかったと見られる。
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ういろうで有名な名古屋の老舗「青柳総本家」は、1879年に初代後藤利兵衛が徳川慶勝公から「青柳」の屋号を賜った老舗中の老舗だ。老舗の倒産が目立つなか、株式会社青柳総本家取締役の後藤稔貴氏は、2017年、取締役に就任してわずか2年たらずでコロナ禍に巻き込まれた。一時期はどん底まで売上が落ち込んだ同社の起死回生について、後藤氏に話を聞いた。
取締役になって間もなくコロナが直撃
後藤氏は青柳総本家5代目の長男として生まれた。一般企業で営業職についたが、2019年当時の青柳総本家・常務取締役が退社。後藤氏は2017年に青柳総本家に戻り、店舗研修から仕事を学んでいった。
「本社に腰を据えて帰ってきた時は2019年11月でした。そのわずか3か月後、前取締役との引き継ぎ中、2020年1月にコロナが広まってしまったんです」
コロナ禍で2020年の売上が前年比30%と落ち込んだ青柳総本家。危機的状況だと目に見えてわかるが、どう向き合ったのだろうか?
「今までこれほど売上が悪くなったことはありませんでした。緊急事態宣言1回目の時は、会社の機能を一度ストップさせたので前年比5%にもなっています。名古屋の栄地区にあるいくつかの店舗も それぞれ断腸の思いで店舗撤退しました」
緊急時になって自社のルーツに着目した
コロナ禍で売上が急速に落ち込むなか、後藤氏は「青柳総本家とは一体何だったのだろうかというところに着目した」という。
「いろいろなキーワードの中で見つけた答えは、青柳総本家はういろうのイメージが全国的に強いことでした。私の祖父が経営している時に、洋菓子や日本で初めてのフレンチレストラン、メキシコレストランなど、さまざまなことにチャレンジしていました。ただ、そこで挑戦していたのは何だったのか? というところから紐解いていきました」
その答えとして、「老舗だからこそチャレンジする精神が必要だった」と語る後藤氏。
「続けるからこそ老舗であって、続けていくためにこれまでいろいろなチャレンジをしてきたんです。失敗して、なくなっていることも多々あるのですが、常にそういうマインドを持ってやっていくことが大事だということを見つけました」