叩かれても“路上飲み”する若者たちの言い分 「静かな外飲みもある」
外飲み歴10年以上の大人が語るメリット
10年以上公園や駅前広場で外飲みをしてきたというライターの鶴見済氏(@wtsurumi)は語る。
「基本的に行政は、公共の場で勝手なことをされるのは面倒なのでやめさせたいんです。実際に、露天商や屋台を撤去させてきた歴史があって、コロナを口実に路上や公園での飲酒も禁止したい。そんな思惑を感じます」
鶴見氏が路上や公園飲みを選ぶ理由は、圧倒的にコスパが良いうえに、精神的なラクさを挙げる。
「何か集まりがあって居酒屋で打ち上げ、っていうと、半分ぐらいに人数が減ってしまいますが、その場で飲むのなら気軽に参加できますし、抜けるのも自由。そのうえ、公園で飲むと全然疲れないんですよ。飲み屋だと騒がしい声やおしぼりの感じとかが頭に残りますけど、それが公園だと木々や空の印象が強く、思い返すと美しい記憶しか残らない。日本人は花見も好きですし、節度を守ったワンカンぐらいは許容する社会のほうが生きやすいですよ」
とはいえ、ゴミのポイ捨ての問題や、国内のコロナの感染再拡大など批判の対象になるのももっともな点もある。気兼ねなくワンカンできる日は訪れるのか。
社会学者が「ワンカン」を分析
若者の動向を知る社会学者の宮台真司氏(@miyadai)に聞いた(以下、宮台氏の寄稿)。
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コロナ禍においてワンカンを含むいわゆる路上飲みや、居酒屋の闇営業がどんどん広がっています。これは、何が合理的かを巡る判断を誰に委ねるのかという問題です。
変異ウイルスが蔓延するまでは、無症候が大半で症状も軽い若い人達は自由に行動してもらい、重症化のリスクが高い持病持ちや高齢者をゾーニングして隔離するのが合理的な対策のはずでした。ところがそれをしない。また、「人流の抑制」を言い、同時に「オリンピックはなんとしてもやるんだー!」と言う政府に合理性はありません。
若い人達が政府の呼びかけと裏腹な行動をしているのは、秩序紊(ぶん)乱行動ではなく、政府の一貫性のない施策に呆れ果てた上で、自分たちで合理性を判断している。これは完全に正しいじゃないですか。ヨーロッパのいくつかの街では同じ理由で若い人達による暴動が起きましたが、日本ではワンカン的なもので終わっています。随分大人しくはあるけれど、僕は自然なことが起こっていると思います。
ただ、大学生はリモート化で病んでいるヤツは多いけど、羊のように従順で悩みを話せる友達もいない。なので、若者とはいっても外飲みや闇営業の居酒屋で飲んでいるのはもう少し年齢層が高めでしょう。また、少人数が1~2缶で済ませるワンカンとは違い、見ていると闇営業や路上での飲みはめちゃめちゃ密だし大声で喋っている。
若い人達にも重症化のリスクがある変異ウイルスが広がっているいまとなっては、結構ヤバいなと感じます。それから、僕の住んでいるあたりだと、朝5時台の渋谷や下北沢の駅前は、路上飲みの後のゴミが散乱してひどい有様。
ゴミを持ち帰ってさえいれば「ワンカン的な動きは当然だよね」という世論が広がる可能性もあったのに、散らかすことで「最近の若いヤツは無秩序だ!」となってしまっていることは残念ですね。
<取材・文/池田 潮 取材・撮影/碇ブドウ 協力/小林 唯>
【鶴見 済】
ライター。1993年に社会現象となった『完全自殺マニュアル』を発表。現在はつながり作りの居場所や0円ショップ、共同の畑などを行う。近著は『0円で生きる』『脱資本主義宣言』など
【宮台真司】
東京都立大学教授。社会学者。映画批評家。1959年生れ。専門は社会システム理論。『日本の難点』、『14歳からの社会学』など著書多数。近著は『崩壊を加速させよ』