M-1敗退で芸人からIT営業マンに。33歳、初めての就活で50社落ちても楽しめたワケ
年齢を追うごとに、転職にはより勇気が必要になってくるのではないでしょうか。特に20代で夢に向かって突っ走っていた人が、全く別の安定した業界にチャレンジする場合は、どのように転職を成功させているのでしょう。
今回、話を聞いたのは、IT技術を駆使して資格試験運営のサービスを提供する、株式会社シー・ビー・ティ・ソリューションズの営業・望月遼馬さん(@mochiryo108)です。
入社前の約14年間は、お笑いコンビ「えんにち」として活躍していた彼。後期には大宮ラクーンよしもと劇場で、埼玉を盛り上げるメンバーとしても活動。その後33歳で芸人を辞め、初めての就職活動を経て現職に就いています。
出だしは好調。芸人として生涯を終えると思っていた
高専を卒業して、すぐに芸人になった望月さん。“極道キャラ”のアイパー滝沢さんとコンビ「えんにち」を組んだ直後から、極道ネタを盛り込んだ漫才で続々とテレビにでられるようになりました。
「当時はショートネタブームがあって、調子がよかったんです。M-1グランプリも、コンビを組んだ初年度で準決勝にいけました。『これだけ出だしが好調なら、いつか決勝に出て優勝できるだろう』と手応えを感じていました。同時に結成から15年(M-1の出場資格)やってうまくいかなければ、芸人を辞めようとも決めていました」
しかし思う通りにはいかず、コンビ結成15年の期日が迫ります。さらに年齢を重ね、安定志向も高まってきました。
「芸人は本当に収入が不安定なんですよ。休むと収入は減りますし、仕事が欲しくてもそう簡単にもらえません。僕は少ない月は14万円でした。そんなときは、明細が入った封筒も薄く、開けるのが怖くてしょうがなかったです」
M-1でマヂカルラブリーのネタを見て「辞めよう」
「それでも若い頃は『お金がなければアルバイトしちゃえばいいや。なんなら親に頼ればいいや』と甘えたことが言えました。しかし歳を重ねてくるとさすがにそんなこと言えなくなってきて、『アルバイトしてる場合じゃない』と思い始めるようになりました」
そして、コンビ結成14年目、2017年のM-1グランプリ3回戦のときのこと。
「いつもウケるネタをやったのに全然ウケず、3回戦敗退で終わりました。楽屋で『期日の15年まであと1年。このままでどうしたらいいんだ』と思っていたら、大宮の劇場ではあまりウケていなかったマヂカルラブリーがどかどかウケていて、満場一致のトップ通過。それを目の当たりにしたときに、あと1年ではとうてい埋まらない差に『芸人を辞めよう』と決意して、就職活動もはじめました」