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性転換した“元女性のホスト”が歩んだ半生「同じ悩みの人の背中を押したい」

学び

水球でインターハイを優勝し日本代表に

 友人が習っていたことがきっかけで、自身も中学校3年生から水球を始めるように。「プロを目指していたわけでもなく、純粋に楽しかったから一生懸命やっていただけ」と謙遜するが、高校2年生のときインターハイで優勝。

 スポーツ推薦で大学へ進学し、20歳のとき日本代表選手に選ばれた。21歳ではアジア大会の代表に選出され、オリンピック選手候補にまで上り詰めた。女子水球選手としての活動している間は、心は男性ながらも「女性として生きる」と決めていたという。

「水球が本当に好きだったので、選手生活を後悔せずまっとうしたかった。だからごく親しいチームメイトにだけカミングアウトして、自分の性にフタをしていました。母には20歳のときに初めて打ち明けて。ショックや悲しみ、怒りなどの感情が返ってくると思ったのですが、『それだけ?』と(笑)。今思うと、驚きながらも冷静に受け止めようと思ってくれたんだと感じます。今は男性としての自分を受け入れてくれています」

 大学卒業後も水球選手として活動するも、それだけでは生計が立てられなかったため、不動産の人事やアクセサリーショップの店員などの仕事を掛け持ちした。22歳のときにオリンピックの選考から外れ、水球からの引退を決意。本格的に男性になるため、心療内科の門を叩く

自分は頭のおかしい奴ではないと気づけた

成宮涼さん

「カウンセリングでは、幼少期からの自分史を作りました。自分はどこで生まれて、どういう性格で、性についていつから違和感を持つようになったのかなどを書き出します。それを元にした診断結果は“性同一性障害”でした。

 正直、とてもホッとしましたね。今まで持っていたモヤモヤが全部すっきりしたんです。自分は頭がおかしい奴だと思っていたけれど、それには理由があったんだとわかってすごく安心しました」

 25歳の時に性転換手術を受け、27歳の時に戸籍上も男性になった成宮さん。大きな手術を受けることに不安はなかったのか聞くと、「風邪をひいたら風邪薬を、腹痛がきたら胃薬を病院で処方してもらうように、自分が生きていくために必要なことだから、不安も疑問も感じなかった」と話す。

 ホストという仕事に興味を持ったのは、お客さんとして遊びに行ったホストクラブの経営者に「君、ホストにならない?」と声をかけられ、成宮涼としての人生が始まった。

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