アイス「ホームランバー」が60周年。長寿の秘密、当たりの確率を聞いてみた
本格的な夏の日差しが続くと、ひんやり冷たいアイスクリームが欲しくなる。コンビニやスーパーには、さまざまなアイスクリームが陳列されているが、市販アイスクリームの中で長寿を誇るブランドといえば、協同乳業の「ホームランバー」だ。
銀紙包装や当たりスティックなどでお馴染み、2020年で60周年を迎えたホームランバーは、なぜロングセラーヒットとなったのか。また、“当たり”はどのくらいの確率で出るのか。協同乳業株式会社 営業企画部の成毛真人副部長に話を聞いた。
なかなか販売許可が下りずに苦労した過去
協同乳業は1955年に、デンマークからバータイプのアイスクリーム製造機を日本で初めて輸入して以来、アイスクリームバーの生産を行ってきた。当時の苦労を成毛氏が顧みる。
「先代の商品開発担当は、海外のアイスクリーム製造技術が日本よりも進んでいたことに着目し、アイスクリーム製造機を取り寄せました。しかし、当時の日本では、バータイプのアイスクリームを販売するための許可を取ろうにも、法整備ができておらず、なかなか前に進めなかった。関係する省庁とのロビー活動や、役所の営業許可を得られるように動いたことで、やっと販売までこぎつけたという背景が実はあるんです」
かくして、バータイプのアイスクリームを日本で販売することが可能になったわけだが、真新しさゆえ、売れ行きは芳しくなかったという。
「昭和30年代(1955~1965年)のアイスクリームと言えば、カップやアイスキャンディータイプが主流でした。そのため、バータイプアイスクリームを発売しても、いまひとつインパクトに欠け、あまり浸透しなかった」
長嶋茂雄さんを広告に抜擢して大ヒット
何かコンセプトを決めて打ち出せないか考えていたところ、当時プロ野球選手の長嶋茂雄さんが活躍する姿を見て、“野球”と掛け合わせるアイディアが生まれたのだという。
「長嶋さんがプロ野球選手として活躍する姿は、野球ファンのみならず、さまざまな人から注目を浴びていました。野球ブームが到来するなかで、野球と商品を結びつけられないかとアイディアを巡らし、駄菓子にある“当たり”をアイスにつければ面白いのではと考えました。ホームランは希少だから“当たり”。ある種、単純な発想でしたが、スティックに『ホームラン』という焼印を入れ、ホームランバーとして販売するきっかけになりました」
1960年に名称をホームランバーへ変更。長嶋茂雄さんの広告への起用や日本初の当たりつきアイスとしてプロモーションしたところ、「当たりがでたらもう1本」というコピーとともに、大ヒットに繋がった。
以来、形やパッケージを変えながら長く愛されるブランドに成長した要因を「時代とともに変わる消費者のニーズに応え続けたことにある」と、成毛氏は話す。