「我が社がマスクを作ったワケ」建設機械用メーカートップが語る
巨大テクノロジー企業が世界の市場を席巻する中、建設機械の業界において世界トップクラスの開発力とシェアを誇る日本の企業がある。建設機械用の「油圧フィルタ」という、ニッチな市場で圧倒的な信頼と製品力を有するヤマシンフィルタは、2016年3月に東証一部に指定された企業だ。
技術力もさることながら、そこには業界トップクラスの企業となるまでのビジネス哲学が存在する。先代から受け継ぎ、30年に渡って経営のトップとしてビジネスを成長させてきた同社代表取締役 社長執行役員の山崎敦彦氏に話を聞いた。
下請けからの脱却が功を奏する
ヤマシンフィルタの前身である山信工業が誕生したのは1956年。創業当初は、ミシンを使った縫製加工の仕事を主な事業として展開していたが、取引先の酒造会社から「酒を濾すための濾布(ろふ)を作ってほしい」という依頼を受けたことで、フィルタ製造の事業へ乗り出す。
やがて自動車用フィルタの下請けへと移行し、順調に業績を伸ばしてきた。そんな矢先、創業者である先代・山崎正彦氏が「自動車用フィルタの下請けをやめて、建機用油圧フィルタの開発に注力する」と事業方針の転換を突如打ち出した。
「先代が、当時このような意思決定を下した理由として2つ挙げられます。まず、下請けの仕事だと利幅が取れず、儲からないということ。次に、元請け企業の要望に沿った製品しか作れないため、創意工夫を凝らしてより良いものを生み出せないこと。
会社の将来性を考えた結果、先代はそれまで売上の8割を占めていた自動車用フィルタの下請けをやめて、建機用油圧フィルタの事業に舵を切ったのです。この決断が、現在のヤマシンフィルタを創ったともいえる重要なターニングポイントでした」
0を1桁打ち間違えて誤発注
山崎社長は1980年に東京大学を卒業後、家業を継ぐ前に取引先だった大手建設機械メーカーで2年間勤める。
「大学時代は紙パルプや濾紙に関する勉強をしていました。ただ、家業を継ぐとなると、機械のフィルタについて学ばないといけない。何も知識がないまま家業を手伝ってもよくないと思い、取引先の機械メーカーで2年間働く機会を設けていただいたのです。
そこでは、生産管理を任せられましたが、新人にとっては重責な仕事でした(笑)。1か月くらいマニュアルを読んで仕事に取り組んだのですが、設計に関する図面がたくさん手元にきてしまったことで手配漏れが発生したり、0を1桁打ち間違えて、部品を誤発注させてしまったりと、結構苦労しました」
2年間の就業後、家業での仕事に専念するようになった山崎社長。ちょうど当時の時代背景は、プラザ合意による円高が市場に大きな影響を与えていた時期だった。