ラーメン界の革命児が「異色のコラボ」に力を入れる理由。2代目社長に聞く
ラーメンは横浜家系や二郎系、煮干し系など、今では様々なジャンルに細分化されている。多様化した背景には、ラーメンが国民食とも言える代表格であり、お店ごとに「旨い」味を追求してきた結果なのではないだろうか。
そんなラーメンブームを牽引してきたラーメン屋の革命児が「麺屋武蔵」だ。「青葉」「くじら食堂」とともに、1996年に開店した「96年組」と称され、ラーメン界に大きな影響を与えたエポックメイキングなお店として名を馳せている。
現在は東京都内に15店舗を構えるほか、台湾や中国、マレーシアなどのアジアからアメリカ、ウクライナ、ポーランドといった欧米諸国に至るまで運営している。
創業者から麺屋武蔵を引き継いだ株式会社麺屋武蔵の矢都木 二郎代表取締役社長にラーメンビジネスで心がけていることや、斬新なコラボメニュー開発を行う理由について伺った。
大学時代に通い詰めたラーメン屋が原点
矢都木氏のラーメン熱が高まったのは大学の頃に遡る。当時通っていた大学のすぐ側にある坂戸の「丸長」に足繁く通うようになったことで、つけ麺に魅了されたというのだ。
「丸長は朝から行列ができる有名店で、年間100回くらい通いました。20年前の当時はまだつけ麺がメジャーではなかったのにも関わらず、朝から繁盛していて、昼過ぎには閉店していましたね。
いつしかそんなラーメン屋の働き方やライフスタイルに憧れを抱くようになり、またつけ麺の可能性も感じていたことから、将来はつけ麺を広めるために独立開業したいと思うようになった」
こう語る矢都木氏だが、「大学卒業を機にラーメン屋で修行を始める勇気が持てず、そのまま企業に就職する道を選んだ」と当時を振り返る。しかし、2年間働いたのち、ラーメンに対する思いを捨てきれず、24歳の時に退職。麺屋武蔵に入社を決意する。
繁盛の方法論を学ぶために麺屋武蔵へ
「麺屋武蔵に入ったのは、ラーメンの魅力よりも、麺屋武蔵の流行っている理由を知りたかったから。味を覚えたいのではなく、繁盛の方法論を学びたかった。なぜ、繁盛し続けることができるのか、実際に体感すれば将来の独立に役立つのではと考えていましたね。
ただ、働くうちに『独立してやりたいこと』が『会社にいてもできること』だとわかり、結果的には2013年に社長を引き継いで今に至っています」
とかく職人気質に見られがちなラーメン屋という職種だが、麺屋武蔵は先輩・後輩で仕事を区別しないフラットな組織を心がけているという。
「あるのはポジションだけ」と語る矢都木氏は、裁量を持たせてもらえる会社風土だからこそ、かつて抱いた「つけ麺をより多くの人に広めたい」という思いを成し遂げられると思ったのだ。