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NHKから映画界へ。人気監督が語る若手時代「肥やしとなるものに貪欲だった」

暮らし

肥やしになるものに貪欲だった20代

影裏

――ドキュメンタリーというお話が出ましたが、監督はもともとNHK時代にドキュメンタリーを撮られています。私たちが知っている大友監督以前にあたる、20代の頃のお話も伺えますか?

大友:30歳になったとき、「自分はこの仕事でやっていけるんだ、という自信を持ちたい」と思って突き進んでいました。この仕事というのは、ディレクターです。

 ディレクターとして、それが天職であるという理由を見つけるための時期。ある意味、準備期間だと思っていました。

 会社に入ってから特に秋田での4年間は、番組のことしか考えていませんでした。古い言葉で「手に職を持つまで10年かかる」と言いますよね。今はもっとスピードが速くなっているかもしれないけれど、とにかくそのことだけに無我夢中になる時期というのは絶対に必要だということを、自分に納得させていた。

――納得させていた。

大友:そうです。とにかく面白いネタを探して、本を読んで、テレビを見て、走り回って。毎晩、飲みながら、番組論みたいなことを戦わせて。休みになったら秋田では見られない映画を観るために東京に出て、CDも買いまくって。とにかく自分の肥やしになるものに投資することに、すごく貪欲でしたね。

世の中は知らないことだらけで面白い

影裏

――結果的には2011年にNHKを退職され、テレビのディレクターではなく映画監督になりました。居場所も方向も変わったわけですが、その時期は必要でしたか?

大友:必要な時間でした。言い換えると、自分がいかに何も知らないか、知らないことが多いかに気づいていった時期だったように思います。当たり前のことですが、世の中は自分が思っているように動いてはいなくて、自分の知らないことばかりで。知っていることよりも、知らないことを発見する方がよっぽど面白い。

 自分の頭の中で思いついたフィクショナルなことより、実際に世の中で起きていることのほうが、複雑で圧倒的に面白いことに気づいた時期。僕らの職業は自分の頭のなかで作り上げたものを再現する職業と思われがちですが、僕は、自分の頭の中で作り上げたものを、さらに破壊したい衝動にいっちゃう。そのベースができたのが20代です。

――ドキュメンタリーに携わったことが大きかったと。

大友:どこかに、ドキュメンタリーを作っていたころの生理があるんだと思います。予想していたことと違うことが起きるのを、ドキドキしながら待っている。そんな感覚を取り戻したいと思って、この『影裏』は作っているんですね。スタッフにもキャストにも、僕の想いもしない化学反応を期待しているところがあって。

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