負債17億円を返済!金メダリストを支える信州の有名病院とは?
さらに、病院内でも過重労働が原因で大量の看護師が辞めていき、6年間の累計赤字は17億円にも膨れ上がり、病院経営の立て直しが急務となりました。
そこで相澤氏は、2001年に救急医療センターを設置し、内部勤務体制に徹底した改革のメスを入れ、今までバラバラに動いていた医療スタッフを一枚岩にすることで、再び地域医療に密着した病院へと変貌させたのでした。
放送を受けて、ネットでも「最近は敷居だけ高くして頼りにならない医療機関が多いなか、民間病院でここまでできるのはすごい!」との声も上がっています。
総合医療のさらなる躍進を目論む相澤孝夫
過去の苦境から脱出した相澤病院ですが、そこにはさらなる秘策がありました。
それは、開業医との密接なネットワークを構築することです。ドクターネットを用いた情報の共有システムを徹底することにより、開業医から紹介された患者をシームレスに相澤病院へ誘導することにより、病院の稼働率は向上しました。
また、開業医にとっても夜間の急患や許容範囲外の重症患者をいち早く処置できるメリットも生まれ、そのシナジー効果が地域医療のさらなる充実にも繋がるようになりました。
また、昨今の高齢化社会にもいち早く対応し、独自のサービスを備えた高齢者向け住宅や支援も開始しました。
これは、高齢者の治療に関して、退院後のことも考えた総合的なリハビリを行うもので、病院では珍しい、料理のリハビリなども積極的に実施し、退院後の生活支援にも力を入れています。訪問リハビリにおいては、170人という日本屈指のスタッフ数を誇っています。
小平奈緒を育てた相澤だからこそできる医療
今年3月の長野県茅野市で行われた小平奈緒選手のパレードでは、スピードスケート日本女子初の金メダルということもあり1万5000人もの観衆が彼女の栄誉を祝福しました。
実はそこにも知られざる感動物語があったのです。2009年に彼女を採用した相澤氏は、遠征費用など総額1億2000万円もの支援を行いました。その理由は、病院経営と同じく地域地元に専念する彼女を応援したかったからにほかならないのです。
また、時代の需要を掴み病院を常に進化させてきた相澤氏は、定期的に開いている職員たちとの懇親会にも足を運び、現場とのコミュニケーションも積極的に行います。
「我々は何のために医療を行なっているかを考えないといけない」と、番組で述べた相澤孝夫氏のこの言葉こそに、あの小平奈緒が世界一に輝いた原動力が秘められているのではないでしょうか。
「相澤理事長も時代に合った医療に挑戦し続けている姿は小平奈緒さんの姿勢とおなじですね」
相澤病院の躍進の陰には何も特別なことはなく、ネットでささやかれたこの言葉のように「挑戦」することが最大の力であり、そこには地域への無償の愛情があってこそなのかもしれません。
<TEXT/湯浅肇>