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レジ打ち、鉄道職員、大工から「プロ野球選手」に。4人の異色の経歴とその後

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信樂晃史:自動車教習所の教官

 2015年のドラフト会議、千葉ロッテより6位指名を受けた信樂晃史選手は、元・自動車教習所の教官。ドラフト会議以前より、候補選手として名前が挙がる段階でその経歴が話題となっていた。

 宮崎・日南学園時代に捕手から投手へ転向し、福岡大学に進学する。卒業後に自動車教習所を運営する地元企業へ入社。同社の硬式野球部へ入部して都市対抗野球出場を目指す同部において、投手としての実力を磨きながら、教習所で教官として勤務する日々を送った。

 自動車教習所勤務経験のある初のNPB選手となったものの、プロ入団後は一軍登板の機会は訪れず、入団から2年目の2017年シーズン終了後、戦力外を通告され、トライアウトを最後に現役を引退した。

田畑一也:大工

 ダイエーホークスに1991年のドラフト10位指名を受け、プロ野球界入りを果たした田畑一也選手はプロ入り前に実家で大工として働いていた。富山・高岡第一高では甲子園出場はならなかったものの、県内屈指の投手として知られ、卒業後は富山県の社会人チームで野球を続けるも、肘の故障で選手生活に一旦は終止符を打つ。

 その後は実家の稼業である工務店に勤めていたが、ダイエーホークスの入団テストを「遊び」で受験したところ唯一、合格し、ドラフト指名を受けることとなった。

 ダイエーではわずか2勝と伸び悩んだが、1995年シーズン終了後にトレードでヤクルトに移籍すると、野村克也監督のもと、古田敦也とバッテリーを組むことで先発投手として実力を発揮、12勝を挙げる。翌年には3完封を含む15勝を記録し、リーグ優勝を支える右のエースとしての活躍をみせた。

 2020年からはプロ野球独立リーグ・BCリーグの「富山GRNサンダーバーズ」の監督に就任することが発表されている。「元大工」という異色の経歴の持ち主は「野村再生工場」を経て、黄金期を迎えたスワローズで一気に能力を開花させたのだった。

<TEXT/佐藤文孝>

新潟県在住。Jリーグ、プロ野球、大相撲やサッカーW杯、オリンピックなど多くのスポーツの現場に足を運び、選手、競技から伝えられる感動を文章に綴っている

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