レジ打ち、鉄道職員、大工から「プロ野球選手」に。4人の異色の経歴とその後
10月に行われたプロ野球ドラフト会議において、大きな話題を呼んだのが福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受けたJR西日本の佐藤直樹外野手。JR広島駅の現役職員であり、ドラフト当日も駅改札で業務に従事していたと伝えられており、駅員からのプロ野球入りが注目を集めている。
◆ご報告◆
先日行われました2019プロ野球ドラフト会議にて、佐藤直樹外野手が 福岡ソフトバンクホークスにドラフト1位で指名されました!!
今後とも、みなさまの温かいご声援をよろしくお願いします♪ pic.twitter.com/tNdbzHktUb
— JR西日本硬式野球部 (@JRWEST_Baseball) 2019年10月20日
もちろん、アマチュア野球での実績は抜群で、熱戦を繰り広げた「社会人野球日本選手権」にも出場した実力者であることは変わりはないが、その経歴はより一層、ファンの目を惹きつけることになる。
プロ野球界へ足を踏み入れる直前まで、「異色」と言われた経歴の選手は他にも存在した。様々な理由から野球から離れていた者、また、全く別の世界から球界入りを果たした競技者などプロ野球史に刻まれた4人を紹介する。
森山良二:レストランでレジ打ち
1988年、パリーグ新人王に輝いた森山良二選手は、ともすれば選手時代より、ドラフト時のエピソードが有名かもしれない。1986年のドラフト会議で西武ライオンズから単独1位指名を受けた際、他球団が全くのノーマークだったことで「隠し玉」とも称された。指名時には野球部のない企業で食品サービス業に就いており、レストランでレジ打ちなどの業務を行っていたという。
もっとも、高校、大学と投手として活躍し、福岡大付属大濠高校3年時には夏の甲子園にエースとして出場している。北九州大学在籍時には西武ライオンズの根本陸夫管理部長(当時)からすでにその実力を評価されており、西武入団を見据えて大学を2年で中退、翌年のドラフトまで前述の企業での勤務を選択した。
入団後は常勝軍団であった西武ライオンズ投手陣において、活躍の機会は多くはなかったものの、1988年には10勝を挙げチームの日本一に大きく貢献した。
飯島秀雄:陸上短距離選手
日本プロ野球史において、選手になる以前の経歴が最も異彩を放つのが1969年、東京オリオンズ(現千葉ロッテ)に入団した飯島秀雄選手だろう。陸上100mで1964年の東京、1968年メキシコの両五輪に出場し、大学時代には10秒1の日本新記録(当時)保持者でもあった。メキシコ五輪の翌年、オリオンズに入団、「代走専門」として注目を集めるも、在籍3シーズンでの盗塁数は計23個。
守備や打席には一度も立つことなく、快速を誇る脚力での活躍を期待される中、世間からの冷ややかな声も少なくなかったという。陸上短距離での輝かしい経歴や得意の「ロケットスタート」だけではプロ野球界では通用することはなかったが、「一芸」で昭和の野球界に華やかさをもたらした存在とも言える。
様々な理由があったにせよ、オリンピアンの球界挑戦はプロ野球が日本のスポーツの、エンターテイメントの頂点に君臨していたその時代を象徴する出来事だったと思えてならない。