「売春島」で元教職員が取り組む“地域おこし”の全貌「知っていたら応募しなかった」
三重県志摩市に浮かぶハート型をした周囲7km、約160人が暮らす小さな離島「渡鹿野(わたかの)島」は昭和から平成にかけ、別名「売春島」とよばれた。実際に島内では、スナックを装った置屋が乱立。性産業に携わる女性も多く、島外からの男性客であふれ返っていた。
現在は観光島「ハートアイランド」として歩みはじめている渡鹿野島だが、まだ模索中のことも多いという。前回の記事<「売春島」と呼ばれた小さな離島が「ハートアイランド」になるまでの壮絶な歴史>に続いて、今回は、汚名払拭のためにおこなっている活動とともに、現在の状況を志摩市磯部町渡鹿野島の区長をはじめ、渡鹿野島「地域おこし協力隊」第1号として活動中のメンバーに話を聞いた。
売春島ではない渡鹿野島
昭和から平成にかけて別名「売春島」とよばれていた渡鹿野島。しかし、伊勢志摩国立公園内に位置する渡鹿野島には風光明媚な風景のほか、イザナギとイザナミが創造した地であるとの資料が残るなど、歴史的にも重要な島である。
15年以上、志摩市磯部町渡鹿野で区長を務める茶呑潤造さん(73歳)に話を聞いた。
「イザナギとイザナミが創造した地、自凋(オノコロ)島といえば、兵庫県にある淡路島が有名ですが、渡鹿野島にもオノコロ伝説があります。渡鹿野島開発総合センターに残る資料では、19代反正天皇の時代に、渡鹿野島がオノコロ島だと記されているのです」
四日市の大学生や島外の人たちとの連携
ほかにも、渡鹿野島ならではの魅力は多い。たとえば、渡鹿野島は本土からわずか3分の場所にある。しかも渡船は、待合所に人がいるのをみつけると運行するスタイル。天気や波の状況により必ずしもそうではないが、離島とは思えないほど便利すぎる。
2013年、三重県の南部地域活性化局が「集落支援モデル構築事業」に取り組み始めた。そこで茶呑さんは、募集していた「地域活性化したい地域」として即座に応募。地域活性化のためのフレーズやヒントになればとの思いからだった。
「そして三重県が送り込んでくれたのが、四日市の大学生。彼らは20人ぐらいで、とても熱心でした。3~4回ほど島内を歩き、若い世代の目線から、渡鹿野島のどこに着目するべきかを教えてくれたのです。『上空から見た渡鹿野島はハートの形だから、愛称をハートアランドにしたらどうか』『FacebookなどSNSで情報を発信したほうがいい』など、有益な情報をたくさんいただきました。ガラケーだった私は、翌日に本土へ渡ってスマホに変更。すぐにFacebookをはじめました」(茶呑さん)