「4畳半の会社に4人で住んでた」29歳社長の破天荒な起業エピソード
少子高齢化の進む日本において、政府はシニア人材の就労に前向きだ。しかし、実態として高齢者の採用に二の足を踏む企業も多く、就労支援はまだまだ不足しているといえよう。
そうした高齢者就労の現状を変革するべく、シニアを専門とする人材サービス企業「シニアジョブ」を立ち上げたのが、29歳の若手社長・中島康恵さん。現在は売上が前年比最高300%を記録するほど急成長中の会社だが、ここに至るまでには数多くの挫折や苦労を経ているという。困難を乗り越え、事業を軌道に乗せた経緯と、その背景を聞いた。
サッカーで挫折を経験。観戦すら嫌に
幼い頃からサッカー少年だった中島さんは、小・中学生時代にJリーグに所属する柏レイソルのユースチームで技術を磨いた。その後は茨城県内でも強豪校として知られる水戸商業高校のサッカー部へ。インターハイ出場も経験し、大学はサッカーの名門校・国士舘大学を選んだ。しかし、なんと入学から半年も経たず部活をやめてしまう。
「当時は後のJリーガーや日本代表選手も同じ部活にいたんですが、彼らのトラップ(ボールを止める動作)を一目見ただけで『これは絶対にかなわないな』と悟ってしまったんです」
確かに、いくらサッカーに打ち込んでいたとしても、プロ入りする選手は多くない。ただ、プレーを諦めても、部活でマネージャーに専念し、サッカー経験を活かした仕事に就くという例もある。なぜ、そうした道を選ばなかったのだろうか。
「退部後は、『サッカーなんて見たくもない』という気持ちになってしまって。あれほど打ち込んできたのに、2年くらいサッカーを見られない時期が続いたほどで……」
クラウドソフトの販売に大失敗
こうして、夢にまで見ていたプロサッカー選手の道を断念した中島さん。残りの大学生活は無気力なものだったというが、転機は就職活動中に訪れた。
「就活をしていて『社会の役に立ち、かつインパクトのある活動ができそうな会社がない』と感じました。当時は学生起業がブームだったこともあり、自分で会社を作ることを決意したんです」
ただ、中島さんには起業のための資金や人脈が不足していた。そこで、就活を通じて会社の社長に会い、直接出資をお願いする「就活便乗作戦」や、優秀な部下をスカウトするべく、頭の良さそうな眼鏡をかけた学生に片っ端から声をかけるという荒業に出た。
「強引なやり方だったので、やはり苦労は多かったですよ。出資のお願いは何度も断られましたし、スカウトのために学生寮へ乗り込んだら警備員に追い出されたり(笑)」