妻がケツを叩いてくれてよかった。『惡の華』原作者が語る、結婚と創作
『スイートプールサイド』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』も映画化された人気漫画家の押見修造先生の代表作を映画化した『惡の華』が公開中。
鬱屈とした日々を送る中学2年生の春日(伊藤健太郎)が、あることをきっかけにクラスの問題児・仲村(玉城ティナ)に弱みを握られ、主従関係を結ぶことに。
もやもやした思春期の衝動を描いた押見先生に、原作に込めた思いや、春日に「クソムシが!」と毒づく強烈なヒロイン・仲村のモデルになったという奥様との秘話、さらには「『台風クラブ』や『太陽を盗んだ男』のような青春映画の系譜に並ぶ作品になった」と語る映画版の感想を聞きました。
生きづらい感じが分かる人へ向けて漫画を描いた
――押見先生の作品は、いくつも映像化されてきました。そのなかでも『惡の華』は、アニメ化、舞台化ときての映画化です。そうした漫画以外の表現をしたいと言ってきた方々には、どういう口説き文句をされましたか?
押見修造(以下、押見):自分としてはそういったお話は非常に嬉しいことです。お話をくださる方は、作品への思い入れが強くて、それを語ってくださると同時に、特に『惡の華』は「自分の過去と共鳴した」と言って、自分自身のことを語ってくださる方が多かった気がします。
――先生は「こじらせた青春」を描くことへの評価が高いですが、過去のインタビューで『惡の華』の原作を描かれたとき、居場所がない人の話を、思春期の若者に限定するのではなく、いまこじらせている大人の人にも読んで欲しいとお話されていました。
押見:思春期って限定されていないと思うんです。『惡の華』にあるような、この感情、もやもや、社会に馴染めない生きづらい感じが、僕の場合は中1とか中2で始まって、今でも続いている部分があります。一応、客観的に分析できるようにはなったとはいえ、終わってはいません。人によっては中学生のころは、そうしたもやもやがなかったのに、大人になってから抱えている人もいるはず。
この作品に関しては思春期という言葉がよく言われますが、それはある年代の特有の何かを示しているのではなくて、そうした状態を示しているのだと思っていますし、そうした気持ちが分かる人に向けて書いたところはあります。一方で、読むタイミングによって、見方が変わる作品かなとも思うので、時間をおいて繰り返し読んでもらえたら嬉しいです。
「変態」「クソムシ」「普通人間」
――もやもやした気持ちには、相反するものが入り乱れます。
押見:この町のやつらは、どいつもこいつもみんなバカだ、と見下しながら、そうした気持ちを分かってくれる人を欲している。つまり人をバカにしている一方で友達が欲しくて、寂しくてしょうがない。そして誰にも自分を理解してもらえないと言って、またみんなを遠ざける。
――そうした気持ちから多少抜け出すには、やはり人とのぶつかり合いが必要になるのでしょうか。
押見:自分の場合はそうでした。原作にも映画にも、「変態」「クソムシ」「普通人間」という言葉が出てきます。「変態」は、どいつもこいつもバカだと思っているやつ。「クソムシ」は平和に普通に成長していくことに何の疑問も持たずに生きている。そしてもやもやを乗り越えた概念として、「普通人間」というのがあるのではないかと。
この世には「変態」の向こう側があるはずだとか思って、それを求めて、俺は分かっている人間なんだと思っていたけれど、実際には何も分かっていなかったし、そもそも特別な向こう側なんてものは相対的なものでしかないということを悟るわけです。