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本場仕込みの「ディージェイ、ケオリ~」が生まれたワケをDJ KAORI本人に聞く

暮らし

「レゲエ、ディスコ、ダンスクラシック」

DJデビューのきっかけは、ルームメイトがダウンタウンにあるレストランバー『MATCH』でマネージャーを務めていて、その紹介からお店でDJさせてもらうことになったんです」と語る、DJ KAORIさん。

 MATCHというお店は、白人が多く集まるトレンディレストランだった。その当時のニューヨークは、まだ人種差別が色濃く残っていたこともあり、ヒップホップはかけられなかった一方、レゲエに関しては人種問わず広く受け入れられていたことから、最初はレゲエ、ディスコ、ダンスクラシックを中心とした選曲でお店を盛り上げていた。

そこから徐々に口コミで、『うちのパーティでもプレイしてほしい』と言われるようになり、さまざまなクラブやイベントでDJをするようになりました。それこそ今では、PCやUSBを用いて簡単にDJができますが、昔はアナログのターンテーブルが主流だったため、そもそもレコードをたくさん集めないとDJができない。また、何百枚も会場にレコードを持ち込まなければならず、相当な肉体労働だったゆえ、DJの数自体も少ない時代でした。ましてや、女性なんて誰もいない状況だったので、珍しい存在として呼ばれやすかったのもしれません

一流セレブの華やかなパーティでDJを

DJ KAORI

 DJ KAORIさんの名声を高める転機になったのは、クラブ「NV」でDJプレイするようになってからだった。そこで開催されるパーティには、芸能やスポーツなど各界のセレブが夜な夜な通っていて、DJ KAORIさんがDJプレイを披露しているうちに「今度プライベートパーティーでDJやってほしい」と白羽の矢が立ったというのだ。

「マイケル・ジョーダンやマイク・タイソン、マライア・キャリーなど、一流のセレブが主催するパーティにDJとして呼ばれたことで、何ものにも代え難い経験をさせてもらったのは、今でも印象深く心に残っています。何千万円もお金をかけて、たくさんのゲストを呼び、豪華な食事を振る舞う。まるで映画のワンシーンのような華やかでゴージャスなパーティは規格外のスケールで、とにかく毎回驚きの連続でしたね

 そんな折、ニューヨークのラジオ界で名を馳せていたDJのFunkmaster Flex(ファンクマスター・フレックス)に、DJの才能が見い出され、ニューヨーク随一のHIP HOP DJ 集団「Big Dawg Pitbulls」へ加わることになる。Funkmaster Flexの大ファンだったDJ KAORIさんは「DJプレイを初めて見てもらった時は、緊張のあまりに手が震えたのを覚えている」と当時の思い出を語る。

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