“経験中心の履歴書”で経済格差はなくなる?学歴社会の功罪をまじめに考えた
就職活動が本格化し、いわゆる「学歴フィルター」に憂いている人も少なくない。本来ならば、企業は学歴ではなく、その人自身の経験を評価の軸に据えることが望ましいはずだ。しかし、留学や習い事など経験こそお金で買えるため、“親ガチャ”によって経験の格差が生じ、“格差の固定化”が起きかねない。
最近では8歳で単身4か国留学などの経歴を持つ社会起業家の平原依文氏がテレビ番組で、「今の日本は学歴を重要視しすぎだと思います」「学歴中心の履歴書から、経験中心の履歴書へ」と指摘したことも、賛否両論を集めた。
学歴中心に評価される現状が最適とは言い難いが、代替案があるとも言い切れない。最適解はどこにあるのか。日本の評価制度の問題点について、『学歴分断社会』『現代日本の「社会の心」』などの著書で注目の大阪大学大学院人間科学研究科教授の吉川徹氏に話を聞いた。
学歴が持つ2つの側面
前出の平原氏は日本が学歴中心社会という前提で話をしていたが、そもそもその論調は正しいのか。吉川氏曰く「学歴には大きく2つの側面がある」という。
「学歴という言葉を整理したうえで、日本は学歴中心の社会なのか論じましょう。まずは、中卒や高卒、大卒といった『最終学歴』という側面。日本は新卒一括採用という大卒者を一括して労働市場に入れる枠組みが一般的です。大学の偏差値に関係なく、大学に通っていれば中卒者や高卒者よりも就職する選択肢が広がることを、学歴中心と言えます。
もうひとつは東京大学や早稲田大学といった大学のネームバリュー・偏差値としての学歴、要するに“学校歴”です。通っている大学によって入社できる会社のランクも変わりますが、それは20~30年も前の話です。現在ではコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力といった、自分を上手にPRして『採用したい』と思わせる“就活力”のほうが重視されています。
日本は学歴中心とは言えない
「もちろん、ある程度の“学歴(学校名)フィルター”を抜ける必要がありますが、最終的に採用するかどうかは“就活力の高さ”、です。なので、大学生が就職活動をする際には、日本は学歴中心とは言えません」
大学生であれば比較的平等に見てもらえるため、「学歴・偏差値至上主義は絶対的ではなく適度に崩れており、むしろ学校名とその人の個性・経験をバランスよく評価できているのではないでしょうか」と吉川氏は分析。新卒一括採用と聞くとネガティブなイメージが根強いが、偏差値至上主義が改められた結果、均整のとれたシステムに変化したのかもしれない。