100万都市・江戸はなぜ人口世界一になれたか?「あっぱれな植物」の正体
100万人が暮らす都市、江戸の謎
武士が東国に築き上げた100万都市、江戸。しかし、ひと口に人口100万都市と言っても、簡単に造れるわけではない。まず、100万人を養うだけの水が必要だ。そして、100万人が飢えないように食糧を集めなければならない。それだけではない。人が暮らし飯を食えば、出るものが出る。この100万人分の排せつ物を処理するインフラが整備されて、はじめて都市が成り立つ。
19世紀のロンドンでは、街を流れるテムズ川から猛烈な悪臭が漂い、伝染病が蔓延した。人口増加に下水道の整備が追い付かなかったのである。すでに世界の先端をゆく文明国家であったイギリスでさえ、人口増加による衛生問題を解決できなかった。それなのに、ロンドンよりもはるかに人口が多かった江戸で、なぜ河川の汚染、伝染病の蔓延が起きなかったのだろうか。
近代農芸化学の父とされ、植物の成長に必要な三要素(窒素、リン酸、カリ)を明らかにした19世紀のドイツ人化学者、リービッヒは、日本のあるシステムに注目し絶賛した。それは、人糞尿の農業への利用である。
価値のある資源だった人糞尿
江戸の人口が増加すると近郊で盛んに田畑が拓かれ、食糧となる野菜が増産された。保存のできる米は遠くから運んでくることもできるが、日持ちのしない野菜は江戸近郊で生産する必要がある。そして農民たちは、江戸の町から人糞尿を集め下肥(しもごえ)とした。農業をやるには肥料が必要だったからだ。
下肥は金肥(きんぴ)と呼ばれ、農民が金を払って買う肥料であった。人糞尿はけっして廃棄物ではなく、価値のある資源だ。下肥は肥料として用いられ、栽培された野菜を人々が食べる。この優れた循環型システムによって、江戸は人口100万都市を可能にした。
下肥は商品として流通し、「下肥問屋」と呼ばれる専門の汲み取り業者がいるほどだった。江戸の町人は長屋に住んでいたが、長屋は共同トイレで、その糞尿は大家のものと決められていた。大家はこの下肥を売っていたのである。その売り上げは、長屋の家賃よりも多かったという。よく落語で長屋の町人が家賃を滞納しているが、大家にとっては家賃をもらうより共同トイレを使ってもらうことの方が大切だったのだ。