23歳の元プロゲーマーを直撃「セカンドキャリアどうしてる?」
プロゲーマーたちのシェアハウスってどんなところ?
――それは興味深いです。コンタクトの話も含めて、プロプレイヤー時代のことをぜひお願いします。
Day1:自分がプロになったのは2015年なのですが、当時は日本でのサービスが始まっていなかったので、北米のサービスでプレーしていました(※北米に置かれたサーバーへアクセスして、北米圏の人たちとプレーする)。当時は、日本人でうまいプレイヤーは非常に少ない状況でしたね。
そんな中、日本のプロチームがサブメンバーを募集していました。自分としてはまたとない機会だったのですが、残念ながら、当時の僕は募集要項の「レート」が足りなかったんです。レートというのは、プレイヤーのランキングみたいなもので、試合に勝てば上がるし、負けると下がります。
それで何の気なしに、Twitterでつぶやいたんです。「レートが足りないや」と。
ところが、そのつぶやきを、募集チームのリーダーが見ていたんですね。そしてトライアウトのオファーがきたという。ひょうたんから駒ですね。
――意思表示によって現実が変わったわけですね。当時は今よりもっとマイナーな市場だったと思いますが、プロになるときどんな将来像を描いていましたか?
Day1:正直なところ「仕事として食べていけるか?」なんて考えていませんでしたね。ゲームでやってけるなら嬉しい、とにかく目の前にあることをやろうといったくらいです。親も特に反対せず、「食っていけるならそれで良し!」といった反応でした。
――では、その後、経験したプロプレイヤーの生活について教えてください。
Day1:ゲームやチームにもよると思いますが、よくあるのは「ゲーミングハウス」と呼ばれる一軒家で共同生活を送るケースです。僕のいたチームは8人前後でしたね。
そして練習から寝食まで共にする。ゲーム練習、食事する、寝るの繰り返し。365日合宿状態ですね。ご想像の通り、他人と一緒に住むというのはストレスが溜まります。生活リズムも違えば、考え方や習慣も違う。そこを許容できるかどうかは重要だなと、つくづく思いました。
それと、練習を重ねていくと、どうしても衝突やケンカが起きます。そんなときに電話やメールだと真意が伝わりにくいと思うんです。面と向かって、相手の表情が見えるところで話し合うというのは大事だと沁み沁みと感じました。それをやりやすいことはゲーミングハウスで同居するメリットでしょうね。
僕もかなり険悪な状況になったことがあって、お互いに話し合って、とりあえず仲直りしたら、ギクシャクしつつも一緒にご飯を食べに行くわけですね。これが同じ釜の飯を食うというやつかな、とも思います。
――そのあたりは会社員にも通ずる教訓ですね。練習時間も長いのでしょうね。
Day1:練習時間は選手によって違うのですが、僕の場合、長いときは1日に16時間やっていたこともありますね。あまりに長時間練習したり、大会などで身体に力を入れすぎていたときは、手が痛くてお箸を持つのが大変になるんですよ。
――マウスクリックによって指が痛くなるということですか?
Day1:いえ、腕の筋肉、手首から肘にかけての筋がプルプルしちゃうんです。一番ヒドかったときは、お箸を持てずフォークで食べていましたね。あとは腰痛もわずらっていますし。しっかりと筋トレすべきかもしれません。
自分でもハードに練習していたと思うので、2部リーグから1部リーグに上がる試合に勝利した時は、雄叫びを自然と上げましたね。結果を出した手応えというか、「これで胸を張ってプロプレイヤーだと言える!」と思えました。
プロプレイヤーから解説者の道へ
――そこまで打ち込んでいたわけですから、引退を決めるまでにはさまざまな葛藤があったのではないでしょうか?
Day1:そうですね……。プロチームを離れてから、引退を決めるまでに時間はかかりました。
当時の状況は芳しくなく、1部リーグにあがってからは、一転して負け続けることになってしまったんです。やはり強豪が多いので甘くはありません。
僕としては「負けがこんでいるチームだからこそ、一番練習する必要がある」と思っていて、練習を16時間していたのはそんな時期でした。日々、張り詰めていたし、緊張感がありましたね。
それでも結果はついてくることなく、1部リーグの2シーズン目も、大幅に負け越したまま終えることになったんです。そこで今後を考えることになりましたね。
チームに長く居すぎたことで甘えが出てきたのではないかと思えたし、それでは上を目指せない。結果、「すみません、チームを抜けます」となったんです。
これが2017年4月頃の話ですが、この時点では引退を決めていたわけではありません。他のチームを探すつもりでした。
そんな中、「LJL CS」解説者の誘いがかかりまして……。悩みましたね。少なくともプレイヤーと解説者の両立は無理だとわかっていましたし。
――難しい決断だと思います。
Day1:ひとまずは解説を担当することにしましたが、それでもプレイヤーを続けたい思いは捨てきれませんでした。今後、自分がどうすべきか悩み続けてましたね。8月上旬、LJL CSの解説を1シーズン終えて、いよいよ「今後どうするんだ?」という話も本格化します。そこでもまだ悩んでいて決めきれなかった。
そして、決断のきっかけになったのが、夏の終りのLJLファイナル観戦です。(※LJLファイナルは、日本のプロリーグの最終王者決定戦。リーグ上位の2チームで戦う)。ファイナルはリーグ戦を勝ち昇ってきた2チームですから、どちらも強豪で、優れたプレイヤーたちが所属しています。しかし、勝負ですから、一方が勝って、一方は敗者になってしまう。それだけじゃなく、ファイナルに出られなかったチームにも、優れたプレイヤーがたくさんいるわけです。やるせないですよね。
そこで考えたんですね。今後、選手として区切りをつけなきゃいけない選手も出てくるだろうと。そのときに彼らに道があるんだろうかと。プロゲーマーとして他のチームへ移籍したり、バックアップスタッフになれるならともかく、ほかの道があるのだろうかと。プロゲーマーなんて、ゲーム以外には何もなかったりしますから。
でも、もしも自分が解説としてやっていけるならば、後からきた彼らも必ずやっていけるはずだと。そういう新しい道に貢献できるなら、もう自分はプロプレイヤーでなくてもいいのではないかと。そんな答えが浮かんできました。
――業界の発展のために、自分を犠牲にするような感覚でしょうか。
Day1:いや、そんなに大げさではなく、自己犠牲というより仲間意識みたいなものかもしれません。同じゲームをプレーして、同じ世界を共有している仲間なんですね。ゲーマーって「ゲームが好きだ」というゆるい共通項でも、なんだか仲間意識を持つところがあるじゃないですか。そういうのはベースにあると思います。