声優・畠中祐「コンプレックスだった」自分の声。一生かなわないと思った“大ベテラン声優”
演じることへの興味は両親からの影響
――畠中さんはご両親(畠中洋、福島桂子)も俳優さんです。両親からの影響は受けていますか?
畠中:確実に両親の影響です。むしろ、それしかないです。子どもの頃に、舞台で生き生きとしている両親の姿を見たことが大きいと思います。家でいるときとは全然違っていて(笑)。家に帰ってきて両親が話していることも、だいたい芝居の話でしたし、そうした話を楽しそうにしている姿を見ているのも楽しかった。だから、自然と楽しいことなんだろうと思っていきました。
『ナルニア国物語』で声優デビュー
――最初に声優業を勧めたのはお母さまだとか。
畠中:小学生の頃に、「俳優のオーディションを受けたい」と言ったんです。そしたら、「役者というのは、自分のキャラクターがどういうものなのか自覚して、自分をどうやって売っていくのか分かっていないとダメだから、あなたにはまだ早い」と言われまして。
当時の僕はふくよかなタイプだったので、今役者としてデビューしたら、「そういうキャラクターだけで売っていくことになっちゃうよ。デビューというのは、自分のこれからを決めるところでもあるんだから、まずは、体型とかで縛られないところで芝居をしたほうがいいんじゃない? 声優はいろんな可能性があるし、どう?」と教えてもらったんです。
――そこから声優デビュー作となった『ナルニア国物語』の吹き替えへと繋がっていった?
畠中:そうです。オーディションを調べてもらって。当時はPHSでセリフを吹き込んで、本国のディズニーに送って審査してもらいました。