東京五輪でホームレス“追い出し”も「生活苦の20代の相談が増えている」
東京オリンピックでホームレスの“追い出し”が
清野さんによると、東京オリンピック開催の影響によって、東京都内ではホームレスの“追い出し”が進んだという。TENOHASIが活動する池袋でも、南池袋公園、中池袋公園、池袋西口公園などを次々とリニューアルし、警備員をつけたり夜間の閉鎖をしたりすることで、家をなくした人が寝られる場所を減らしていったそうだ。
「ホームレス状態の方が寝られる場所が少なくなっただけで、ホームレス自体が少なくなったわけではありません。もし生活困窮者やホームレスが減っているんだったら、うちへの相談者数も減っているはずですよね。要するに、ホームレスを見えないようにしているんです」
清野さんは、ホームレス数の増減を調べる国の調査目的や意味ついても疑問を呈している。
「目に見えるホームレス状態の方の増減だけで、日本の生活困窮者の状況がわかるわけではないですよね。実際に困っている人はどういうところにいて、どういう困り方をしているのかを調べないと、ホームレス問題の解決にはなりません」
「ホームレスへの偏見」が参加のきっかけ
そんな清野さんがホームレス問題に目を向け始めたのは、2002年。その年の1月、東京都東村山市の中学生がホームレスを暴行し、殺害する事件が起きた。当時、中学校で社会科の教員として働いていた清野さんは、この悲惨な事件に衝撃を受けたという。
「事件が起きる少し前まで東村山の中学校にいたので、すごいショックを受けましたね。でも当時、私の周りでは誰もこの事件を問題にせず、授業にもしていなかった。ここに差別の最前線があると思いました。社会には、強烈に蔑まれた人たちがいる。その問題を授業で取り上げる必要があると思いました」
ホームレス生活経験者に授業に来てもらい、生徒とコミュニケーションを取る機会を設けようと考えた清野さんは、協力してもらえる支援団体を探した。それが、TENOHASIだったのだ。2004年、清野さんはTENOHASIのボランティア活動に初めて参加。現場でホームレス問題を学び、中学校の授業で取り上げた。
「そのときの授業はとても面白くて、生徒たちの認識を揺さぶることができました。生徒たちは『ホームレスの方々は普通の人たちなんだ』という考えに変わりましたね」
清野さんはその後も、TENOHASIの炊き出しやボランティア活動に顔を出すようになった。そして2005年から本格的に運営を手伝うようになり、2006年に事務局長に就任。2017年に教員を早期退職するまで、教員と事務局長の二足の草鞋を履き続けた。「生活困窮者やホームレスへの偏見をなくす授業をやりたい」という思いが、生徒の認識だけでなく、清野さんの人生も大きく変えたのだ。