「カメラの前に立つのは怖い」中川大志、キャリアを積んで見えた課題
若くして俳優キャリア10年を越え、恵まれた容姿だけでなく、演技派としても評価されている中川大志さん(22)。
『弾丸ランナー』『蟹工船』『うさぎドロップ』の鬼才・SABU監督が手掛ける映画『砕け散るところを見せてあげる』では、石井杏奈さんとともに主演を務め、石井さん演じる少女・玻璃をいじめから救おうとする青年・清澄を演じています。
青春映画に留まらず、予想できない後半へと加速していく本作に挑んだ中川さんに、チャレンジの動機や映画のテーマだけでなく、2011年に出演し、一気に注目を浴びることになったヒットドラマ『家政婦のミタ』後の葛藤などを聞きました。
過酷な状況だからこそ見える愛の物語
――脚本を読んだときの印象は?
中川大志(以下、中川):1本の映画のなかに、すごくいろんな要素が入っていて、ギアがどんどん変わっていく感じがしました。先が予想できなくて、ハラハラドキドキする、自分があまりチャレンジしたことのないテーマで、すごくやってみたいなと思いました。
――どんなテーマだと感じましたか?
中川:基本的には愛の物語なんですが、キレイな部分だけじゃなくて、残酷だったり、過酷だったりする中から見えてくる愛というか。僕は「愛の生命力」と呼んでいるのですが、そうした状況だからこそ見えてくる強さを感じましたし、すべての描写が中途半端になってはいけないと思いました。
――清澄を演じるにあたって心掛けたところは?
中川:大事にしたのは、ナチュラルさです。いろんなことを無意識のうちにやってしまえる。たとえば学校でいじめを目撃したとき、同級生や後輩、先生などいろんな目があるなかで、自分が思ったことを口にできたり、行動に移せたりするのってすごく勇気がいる。清澄も、かつては学校にいづらい時期があって、そこを乗り越えた今は解放されて、すごくピュアに物事に向き合っている。
だから僕も演じるうえで、こういうシーンはこう見せたいとか、このセリフはこう言おうとか、そういった考えをなるべくそぎ落として、ピュアに向き合わないと、お客さんに見透かされてしまうと思いました。SABU監督からも、これまでに積み上がってきている役者としての経験を「1回、全部捨てて、この役に向かって欲しい」と言われたので、まっさらな気持ちで飛び込んでいきました。
キャリアを積むほど、怖さが増す
――確かに清澄は考えるより先に自然に体が動くところがあります。何かスイッチを入れる瞬間、中川さんはどんなことを考えますか?
中川:芝居をするときには「どうにでもなれ」という言葉が浮かびます。やっぱりカメラの前に立つって、すごく怖いことなんです。自分を奮い立たせないとできない。何回現場をやってもそうで、むしろ経験が増えれば増えるほど、怖くなってきているかもしれません。
――キャリアを重ねた今のほうが怖い?
中川:何も分かっていないときのほうが楽なんですよね。自分のなかで積み重なっていくものがあればあるほど、立ち向かうのには勇気がいる。自分をさらけ出さないといけない仕事もあって。撮影の何か月も前に脚本をもらって、いろんな準備をして、それを本番前に捨てていきます。
――逆にいうと、捨てるだけの準備が必要ということですね。
中川:そうなんです。基盤がないと捨てられないんです。これだけやってきたという確かなものがあるうえで、カメラの前に立つときにすべて投げ捨てる。セリフを覚えたり、いろんなことを勉強したり、インプットしていく作業が多いですけど、難しいのは、インプットすることよりも捨てることなんです。それを今、自分のなかで課題にしています。結局、「どうにでもなれ」という状態で、その瞬間を生きないと、観ている人にも響かないんです。