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『5時に夢中!』で注目の”関西弁ロシア人”は何者?本人に直撃

暮らし

解放することを学んだ「ニコ動」配信者時代

小原ブラス

――そんな日本で成長し、高校生では「ニコニコ動画」の配信を始められましたが、どういうきっかけだったんですか?

小原:僕がインターネットを使いだすのが少し遅くて。多分もっと子供の頃から使っていれば、掲示板やYahoo!知恵袋のようなテキストのサイトから入ると思うんですけど、僕の場合は最初のインターネットが「ニコニコ動画」だったんです。そこでリアルタイムで配信をしている人を見て、それに視聴者がコメントをしていて。こんなことがインターネットで出来るんだ!って、すごく衝撃受けて。

――そこからどんどんハマっていって?

小原:学校とかでは、外国人ってだけで目立っていたので、その他のことで目立たないようにしていたんです。ゲイであることも隠していましたし、得意だった徒競走もわざと2位を狙ったりして、自分自身にストップをかけていました。
 
 でも「ニコ動」では僕が何者か誰にも知られていないから、自分の気持ちを自由に発言して、コミュニケーションを取っていました。実際に会ったことがないからこそ、意見を交換出来たりする場って、ある意味、重要だなって思っていました。

――そのうちご自身も配信する側に?

小原:「ニコ動」のコメントで自分を解放しているうちに、自分でも配信してみたくなって。当時は今よりも“ネットに顔出しはしないもの”っていう認識が強かった中、顔出しをして、ロシア人で、関西弁をしゃべったら、それだけですぐ有名になって(笑)。

 自分で思ったことを発信することの快感を覚えました。たぶん、この時の経験があったからこそ今タレントをしています。

人間の嫌な部分を多く見て、活動休止

小原ブラス

――高校を卒業後は、どのように過ごしていましたか?

小原:当時は今でいう「ニコニコ超会議」とかのイベントや、公式の放送に呼ばれることが多く、ほぼ毎週、東京に行っていたので、高校卒業後に上京しました。大学に通っていたんですけど、1年で辞めちゃいました。正直けっこう儲かってたんですよ。儲かると、人って平気で大学を辞めるようになるんだなって、お金の怖さを、身をもって学びましたね(笑)。

――配信されていた当時はいわゆる“アンチ”のコメントなどが気になることはありましたか?

小原:気になりました。不思議なもので、良いコメントが90%書いてあっても、10%の悪いコメントがあると、悪いコメントが全てに見えてくるんです。

 あと人気の時だけ近づく人とかも実際にいて。ちょっと人気が下がると離れて違うところで僕の悪口を言っていたり。人間の嫌なとこを見ました。それにも疲れて、一時期「ニコ動」配信を辞めて、普通に会社員として働いていました。

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