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山田邦子、事務所独立騒動。その背景と、20代が知らない“スゴすぎ伝説”

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「39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした」

山田邦子

※画像は公式サイトより

 タレントの山田邦子(58)が自らのブログに投稿した内容が波紋を広げている。

山田邦子は「ダウンタウンやとんねるずに匹敵」

 話題となっているのは「長唄の会 無事終了」と題した4月29日の日記で、冒頭の文章に続き「この事は新しい令和の年に向けいろいろ整理が付く、出来事にもなりました。残念です」と、事務所退社、独立を匂わせる内容を綴っている。

 この“絶縁宣言”を受けて、女性週刊誌『女性セブン』(5月23日号)が、山田本人を直撃したところ、「事務所は私に全然関心がない」「私のマネジャーは動いてない状態でもう末期的」と語った。山田と太田プロの両者の溝は、想像以上に深刻のようだ。

 ネット上では「44歳の僕にとって、アイドル以上の、青春時代でした。山田邦子さんのバスガイド、また見たいです」「女性芸人の草分け的な方ですからね。同世代なんで頑張って欲しい」、なかには「全盛期はダウンタウンやとんねるずに匹敵するくらい力はあった」といった声もあった。

――だが、チョット待ってほしい。bizSPA!世代の20代、平成10年以降に物心がついた僕らには、ダウンタウンやとんねるずのスゴさはテレビで毎日のように活躍を見てきて知っているが、正直言って、山田邦子がそれに匹敵するといわれても違和感を覚える。

デビュー半年で『オレたちひょうきん族』に出演

山田邦子

山田邦子『大丈夫だよ、がんばろう!―私も、乳がんと闘っています』(主婦と生活社)

 そもそも山田邦子とはどのような存在なのか? 著書『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)で山田邦子について論じたこともある、お笑い評論家のラリー遠田さんに聞いた。

「山田邦子さんは学生時代からバスガイドのものまねネタなどを得意としていて、クラスメイトや友人を笑わせていました。その芸を武器にして、素人参加型のお笑いオーディション番組に片っ端から出演して、賞金を稼いでいました。その明るくユニークなキャラクターがテレビプロデューサーの目に留まり、1981年にTBSのドラマ『野々村病院物語』に出演することになりました。

 その後、『笑っていいとも!』の前身番組である『笑ってる場合ですよ!』でネタを披露して5週勝ち抜きを果たし、芸人としても活動を始めました。そのわずか半年後、ビートたけしさんや明石家さんまさんが出演した伝説のお笑い番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演することになり、この番組で彼女の人気は不動のものになりました」

 なんとデビューから半年で、ビートたけしや明石家さんまと共演。すさまじいスピードで売れっ子としての階段を駆け上がっていったことになる。

教養としての平成お笑い史

教養としての平成お笑い史

明石家さんまからピコ太郎まで 時代を映した14組の芸人で平成を振り返る。 教養としてのお笑い史。

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