「20代は混迷の時期だった」ハリウッド大物プロデューサーを直撃
最初は製作ではなく、経営をやっていた
――ハーバード大学とペンシルバニア大学で学ばれた後に映画業界へ入られましたわけですが。
ボナヴェンチュラ:僕は東海岸の出身で、当時はハリウッドの映画の都からは程遠いところにいたから、それまで映画ビジネスということは考えていなかった。
ただ、自分を振り返ったとき、時間さえあれば映画を観ているな、やっぱり映画が好きなんだなと漠然と思った。それで映画会社に就職することにしたんだ。でも、最初の15年間はスタジオで経営、マネージメントのほうをやっていた。
――そうなんですか?
ボナヴェンチュラ:全然クリエイティブなことには関わっていなかんたんだよ。だけどもうちょっとクリエイティブな、製作のほうにも関わりたいという気持ちが出てきた。
そして、徐々にプロデューサー業を始めていったんだ。プロデューサー業がなぜ自分にとって楽しいのかというと、これといったルール、一定の方法がないこと。
作品ごとに作り方もプロセスも全く違っていて、常に変化を楽しめる。もちろんそこは同時に不安の材料にもなるけれど、でも非常に興味深くて刺激的な体験で、自分は楽しんでいる。
自分に非常に影響を与えた作品
――映画の原体験を教えてください。
ボナヴェンチュラ:子供のころの原体験というより、映画の業界に入りたい、映画の仕事をしたいと思った映画を挙げよう。
『ディア・ハンター』『地獄の黙示録』『暴力脱獄』『再会の時』なんかだね。あと、オーストラリアのインディペンデントで『誓い』という作品があって、これらが自分に非常に影響を与えた作品だね。
――これらの作品に何か共通点はありますか?
ボナヴェンチュラ:どうやっても抗えない絶大な権力に、無茶と分かっていてもなんとか抗おうとする人々を描いたものに惹かれるようだ。そうした筋が、もっとも深い人間性や感情を伝えられる気がする。
ちなみに『誓い』はインディペンデント作品だけれど、戦争もので、最後に無茶と分かっていながら上官が攻撃を命じて、全員死亡するという実話に基づいた物語。権力のある地位にあるものの愚かさや過信についても考えさせられる。