“貯金だけでは生き残れない”時代に──いま働く人が知るべき金融の真実

金融リテラシー向上やデジタル化など、金融業界は大きな変革期を迎えています。去る2025年10月3日には、金融機関・スタートアップの若手人材を対象とした「次世代 金融・スタートアップ人材向けセミナー」が開催され、金融業界の多様な著名人らによるパネルディスカッションが行われました。本記事では、そのイベントの模様をお伝えします。
「金融経済教育」は企業価値向上につながる
イベントの冒頭では、服部経治氏(FinCity Tokyo理事、Brookfield Japan株式会社 代表取締役 マネージング・ディレクター)が登壇。AI時代や世界の潮流の変化など、大きな転換点を迎えるなか、日本の成長には「型にはまらない視点と行動力を持つ次世代の金融・スタートアップ人材が不可欠」だと述べました。
さらに投資家、企業、金融機関など異なる立場のプレイヤーがつながり、それぞれがパワーアップすることで「インベストメントチェーンの強化」につながるとし、金融ファイナンス、財務諸表、リスクリターンなど、共通言語としての金融知識を備えること。
そして、リスクを恐れずに取り、強い信念を持って周囲を牽引する“侍”のようなリーダーが、あらゆる業界で求められていると語りました。
続いて、メインコンテンツとなるパネルディスカッションが行われ、「金融経済教育」「資産運用」「スタートアップ」の3つをテーマに、金融業界のキーマンたちが持続可能な金融の新たなスタンダードや、日本経済の成長に欠かせない金融のあり方について議論を深めました。
最初のパネルディスカッションのテーマは「金融経済教育で高める従業員満足度と企業価値」。

【パネリスト】
清水季子氏(株式会社EmEco 代表取締役社長)
伊藤雅子氏(アセットマネジメントOne株式会社 執行役員 企画本部副本部長 兼 未来をはぐくむ研究所 所長)
新谷亜紀子氏(金融庁 企画市場局企業開示課 課長補佐)
【モデレーター】
本田幸一氏(金融経済教育推進機構 経営戦略部 部長)
官民一体で金融経済教育を推進する金融経済教育推進機構(J-FLEC)の本田氏は、「企業における金融経済教育は、従業員満足度を高め、安心して働ける環境を作る。その結果として企業価値向上につながる」と話し、各パネリストの見解を尋ねました。

清水氏は日本の教育が受動的で、「人生にどう役立つか」を示せていない点に言及。「社会人になって金融経済教育を施しても定着しにくい。さらには企業の人的資本経営においては、本業のスキルアップのほうが優先順位が高く、従業員の資産形成に関する教育は後回しにされやすい」と述べました。
「企業にとって本業の業務遂行能力の向上が一丁目一番地であり、いかにして従業員の資産形成支援などの優先順位を上げていくかが課題だと捉えています」(清水氏)
日本の競争力の源泉が「人」だからこそ、国を挙げて人材育成に取り組むことの重要性を清水氏は語りました。

伊藤氏は自社で行ったアンケート調査の結果を発表。多くの従業員は会社の金融経済教育が手厚いと感じていない一方で、特に若手層は会社による教育に強い期待を寄せているそうです。
また、企業の金融経済教育が従業員の満足度や会社への帰属意識を高めることにもつながるといいます。「企業はDC(確定拠出年金)の継続教育などを通じて、従業員とのコミュニケーションを深める機会として積極的に活用すべきだ」と述べました。
一方で、金融知識の習得だけでなく行動変容を促すことが重要であり、「意識」「知識」「手続き」の3つの要素が大事だと強調しています。
新谷氏は、コーポレートガバナンスにおいても従業員は重要なステークホルダーだからこそ、優秀な人材を獲得・維持するために人的資本への投資は極めて重要だといいます。そうした観点から、伊藤氏が示した「金融経済教育が従業員の帰属意識を高める」というデータについて、「企業にとっても有益であり、人的資本投資の一環として位置づけるのがいいのでは」と提言しました。
ユニコーンが生まれない日本でスタートアップの飛躍的成長を阻む壁

続いては「スタートアップの飛躍的成長に向けてできることは何か?」をテーマにしたパネルディスカッションが行われました。
日本のスタートアップ企業が数多く存在する一方で、世界的な成功を収める「ユニコーン企業」が少ない理由や、飛躍的な成長のために必要なことについて、各分野の専門家が議論を交わしました。
【パネリスト】
菅野暁氏(東京大学 CFO)
楠美公氏(京都大学イノベーションキャピタル 代表取締役社長)
小崎亜依子氏(一般社団法人スタートアップエコシステム協会 理事)
合田ジョージ氏(株式会社ゼロワンブースターホールディングス 取締役、株式会社ゼロワンブースター 代表取締役)
【モデレーター】
森田宗男氏(FinCity.Tokyo 専務理事)

モデレーターの森田氏は冒頭で、スタートアップの飛躍的成長に向けて「資金の流れ」「人材・ガバナンス」「出口戦略(IPO、M&A)」「国際マーケットアクセス」の4つのキーワードを挙げました。

「多くのスタートアップが国内市場での成功に留まり、当初からグローバルな視点が欠けている」と述べた菅野氏は、大学発のスタートアップ支援はシステマティックになっているものの、グロース期以降の資金が不足しがちと指摘。大学発スタートアップを専門に支援する「エンダウメント(基金)の創設」などを通じて、長期的な資金供給の仕組みを構築する必要性を説きました。

楠美氏は、ディープテック分野に特化した投資を行っている立場から、「日本のVCは技術のデューデリジェンス(事業評価)ができる人材が不足している」と分析しました。また、日本のイグジット(出口戦略)がIPOに偏りすぎていることが、リスクマネーの供給を限定的にしていると指摘しました。
やはり日本の技術レベルは高いものの、海外投資家の「投資対象」に入っていないのがエコシステムの成長や海外進出の足枷になっている点に触れ、「もっと海外のリスクマネーを積極的に取りに行くことや、海外から注目されるような働きかけが重要」だと述べました。

小崎氏は「海外展開は後から付け足すものではなく、創業当初からグローバルな視点でチームや事業を構築することが大事」だと示すとともにジェンダーの多様性に大きな課題があり、女性起業家への資金供給が極端に少ない点が、エコシステム全体の機会損失につながっていると話しました。
そして、広い視点でスタートアップエコシステムの成長を促すためには、長期的な視点で社会課題解決型の事業に投資するインパクト投資家や財団、ファミリーオフィスなど、多様な投資家の参入を受け入れることが鍵になると述べました。

合田氏は大企業に優秀な人材が留まり、起業に至らない現状が「人材の流動性の低さにつながっている」と指摘。加えて、スタートアップの成否は「事業テーマの設定」と「事業プロセス」でほぼ決まるとし、日本のスタートアップはこの点が弱いと分析しました。
「日本のスタートアップが持つ優れた技術を、ビジネスの言葉に『言語化』する能力が不可欠であり、さらにはその技術を大きな市場に結びつけるための業界調査や事業設定の重要性がさらに認知されるべきだと思います」(合田氏)
「ユニコーン企業」が誕生するのは、国内に留まらないグローバルな視座と、より大きなビジョンを持って世界規模の社会課題解決に挑戦すること。最高の技術を活かすため、勝てる市場を見極める戦略を立てることにあるかもしれません。
「貯蓄から投資へ」を加速させるインベストメントチェーンの強化
最後のパネルディスカッションでは、「インベストメントチェーンの強化に向けた現在地」と題し、日本の「貯蓄から投資へ」の流れを加速させ、経済の好循環を生み出すための「インベストメントチェーン」の強化について有識者らが意見を交わしました。
【パネリスト】
菅野暁氏(東京大学 CFO)
黄春梅氏(インパクト・キャピタル株式会社 代表取締役)
村山治子氏(野村アセットマネジメント株式会社 執行役員)
中村明弘氏(企業年金連合会 運用執行理事)
【モデレーター】
森田宗男氏(FinCity.Tokyo 専務理事)
セッションの導入では、モデレーターの森田氏が「約2,200兆円といわれる日本の家計金融資産は半分以上が現金・預金であり、欧米に比べて資産が増えにくい構造になっている」という点を問題提起。この課題を解決するには、家計の資金が企業成長につながり、その利益が配当や賃金として再び家計に戻る「インベストメントチェーン」を強化すること。それが、ひいては“資産運用立国”の鍵になると説明しました。
菅野氏は東京大学 CFOの立場から、エンダウメントの重要性を強調しています。特に国の支援が減少するなか、大学が自助努力で研究・教育資金を生み出すための資産運用が求められていると述べました。

企業年金連合会 運用執行理事の中村明弘氏は「企業年金連合会は、これまでも日本の資産運用の自由化・高度化を働きかけてきたが、運用においては超過リターン(アルファ)の追求が健全な財政に必須であり、今後は公的アセットオーナーがより大きな役割を果たすことが、日本の資産運用立国実現の第一歩になる」と発言。

野村アセットマネジメント株式会社 執行役員の村山治子氏は資産運用会社の視点として、「顧客の利益を最優先する『フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)』がすべての活動の根幹にある」と話しました。
「投資家から預かった資金で企業価値を高め、そのリターンを顧客に還元する『投資の好循環』を作ることが資産運用会社の使命です。そのために、専門人材の育成や利益相反の管理、投資先企業との建設的な対話、業界横断での女性活躍推進などを通じて、『投資の好循環』に貢献できるように努めています」(村山氏)

黄氏は、経済的リターンと社会的インパクトの両立を目指す『インパクト投資市場』が日本で急成長している点を紹介。その一方で、その担い手となる人材が不足している課題を指摘し、スタートアップが上場後も社会課題解決と企業成長を両立させる「インパクトIPO」という新たな仕組みを提唱しました。
インベストメントチェーンの強化は、日本の経済成長と国民の資産形成にとって国家的な課題ですが、各主体がそれぞれの役割を果たし、連携を深めることが金融の未来を創造するのではないでしょうか。

閉会の挨拶は東京都産業労働局の村本一博氏が務め、「東京が国際金融都市として持続的に発展するためには、金融の力で社会課題を解決し、イノベーションを社会に実装できる人材の創出が鍵になる」と述べ、イベントを締めくくりました。