今も愛される“浅草の遊園地”。新社長が目指す「夜の時間帯」の改革
都内でも有数の観光地として名高いのが浅草だ。雷門や仲見世通り、浅草寺などの人気観光スポットが点在し、老若男女問わず多くの人で行き交っている。そんななか、日本最古の遊園地として歴史を刻んできたのが「浅草花やしき」である。
開園は江戸時代末期の1853年。戦争中は一時閉園を余儀なくされたが、戦後の1949年には再開し、遊園地としての営業をスタートさせる。日本に現存する最古のローラーコースターや街を一望できる人工衛星塔など、「浅草の遊園地」として親しまれてきた。
東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオジャパンなどの大型テーマパークが席巻するなか、なぜ花やしきは今もなお支持され続けているのか。株式会社花やしきで代表取締役社長を務める西川豊史氏へ話を聞いた。
新卒でナムコに入社「パックマンに携わる」
西川氏は新卒でゲーム開発会社のナムコへ入社。ゲームセンター向けの営業マンとしてキャリアをスタートした。転勤を何度か経験した後、アメリカに赴いてパックマンのアーケード機(業務用のゲーム機)を販売する仕事にも携わっていたという。
「帰国後はバンダイナムコグループで、経営企画などの仕事を行っていました。こうしたなか、2020年4月に花やしき(バンダイナムコグループ)の非常勤取締役として関わるようになったのが、今のキャリアにつながっています」
そして、2021年には前社長の任期満了に伴って社長へ就任し、花やしきの経営に携わるようになったのだ。
不得意ではなく得意なことで勝負する
西川氏は「異業種の分野で不安もあったが、新しい挑戦をしていきたい思いが強かった」と語る。
「花やしきの経営を担うなかで、やはり数字を作らなければならないのが、一番大変に感じています。数字を作れなければ、どんなに従業員の方が懸命に業務へ励んでも、その頑張りに対する還元ができない。私が着任して以来、意識してきたのは『不得意なことで結果が出なければ、得意なことで勝負する』ということです」
過去には花やしき内で自社の飲食店を営業していたそうだが、あまり成果が出せず、コロナ禍を機にクローズさせ、現在はテナントの飲食店のみ残すという形をとっているという。
また、物販やお土産を販売するショップの一部も閉めて、カプセルトイ専門店「ガシャポンのデパート」と「一番くじ公式ショップ」をオープンした。こうした改革を行い、花やしきの新たな魅力の開発を念頭に置きながら、経営に携わってきたそうだ。