医者家系の22歳男性が苦しみ抜いて「アーティストになる」と両親に伝えた結果
親の職業や肩書きが立派すぎると、人によってはプレッシャーに感じたり、息苦しさを感じたりして、身動きが取れなくなってしまうこともあるようです。日本には「親の七光り」ということわざもありますが、キッカケ自体は自分で作る必要があるかもしれません。
代々医者家系の内村清彦さん(仮名・22歳)。父親は開業医として地元で人気があり、母親は看護師として父の病院をサポートしていました。一人っ子だった内村さんは、いつの頃からか自分も医者になるものだと考えていたそうです。
敷かれたレールと圧力
「勉強を強要されたことはありませんでしたが、『勉強頑張っているな』『すごい点数取ったわね』と褒めてくれる両親だったので、自主的にやっていました。勉強すればするほど点数も上がって面白かったですし、学ぶことは好きだったので」
内村さんは、幼稚園のお受験も経験。その後も名門校ばかりで学び、医学部に合格したのだとか。父や母に病気や医療のことについて質問すると大変喜んだようで、気がつくと会話が偏っていたと言います。
「小学校や中学校のときも、同年代が話しているようなゲームや好きなアイドルの話は、してはいけないもののように感じていました。だから、ハマらないように遠ざけて、とにかく両親の期待に応えようと勉強ばかりしていたんです」
音楽の沼と将来への葛藤
勉強ばかりしていた内村さんに音楽の楽しさを教えてくれたのは、高校のときに好きになった同級生でした。付き合うまでには至りませんでしたが、放課後に2人が好きな曲を聞いたり、帰り道に好きなアーティストの話題で盛り上がったりもしたのだとか。
「彼女とは同じ大学を目指して勉強し、見事合格。僕は医学部で彼女と学部は違いましたが、音楽でつながっていたので仲良しでした。彼女と同じ学部の同期とも仲良くなって、音楽に激ハマりしています。そして、自分でも音楽をはじめたいとギターやベース、ドラムセットまで購入。彼女や同期数人とバンドを組んで活動をはじめたんです」
けれど、親の期待に応えなければならないという思いが薄れることはなく、勉強と音楽を両立。高校のときからの同級生だった彼女はもちろん、同じバンドメンバーからもかなり心配されたといいます。
「僕のなかでは、アーティストになりたいという気持ちが大きく膨れ上がっていました。バンドのメンバーたちと、どうにか音楽活動をしたいと。でも、両親には高額な学費も出してもらっていましたし、いまさら医者にならないという選択はありえないと思っていました」