会社員から仏門に。坊主バー店主「コロナ禍で再確認したもの」
中野に「坊主バー」というお店があります。その名の通り現役僧侶がマスターとして訪れる人に酒類等を提供するお店です。知らない人が名前を聞いただけではイロモノのお店と思ってしまうかもしれませんが、坊主バーは16年以上の歴史を持つ地域に定着したお店で、また確固とした理念を持って経営されています。
坊主バー店主・釈源光さん(浄土真宗)に、坊主バーの経緯や歴史、またコロナ禍におけるバーの意味についてお話をお聞きしました。
仏教界に一石を投じるためにスタート
――坊主バーの存在を知った時に「坊主がバーをやっていいんだ」と驚きました。坊主バーはどういった経緯でスタートしたのでしょうか。
釈源光(以下、源光):今では様々なコンセプトバーがありますが、坊主バーはその走りとも言えるバーで、1991年ころには最初の坊主バー(0号店)が大阪にできました。私も当時はサラリーマンで、常連客の一人だったんですよ。
――1991年というと、「bizSPA!フレッシュ」読者の多くはまだ子どもだったか、もしくは生まれていないころだと思います。当時の時代背景を教えてください。
源光:当時、私たちが若いころですね、時代背景として新興宗教ブームがありました。宗教に興味を持つ人が選択するのは、既存の仏教ではなく新興宗教だったんです。私の知人にも1995年に地下鉄サリン事件などを起こすことになるオウム真理教に入信した人もいます。
――宗教に興味を持つ人がいても、その対象として既存の仏教は選ばれないんですね。
源光:一番最初の坊主バー、0号店のマスターは私の師匠なんですが、坊主バーを始めたきっかけとしては仏教界の現状に一石を投じたいという思いがあったようです。
商社マンから仏門へ、そして坊主バー設立
――一石を投じたいと思い立っても実際に行動するのは簡単ではないことだと思います。
源光:その背景として、私の師匠の経歴を簡単に説明しますね。師匠はもともと、坊さんではなく大手商社マンをやっていました。仏門に入るきっかけは、彼女の家がお寺だったことです。そのお寺が男手がないと。そこで彼が34~35歳のころに養子という格好で住職に就任したんです。
――仏教界とは別の社会で生きてきた人だったんですね。
源光:外部の人間として仏門に入ったからこそ、あまりに閉鎖的で一般人に開かれてない場だと強く感じたのかもしれません。彼は商社マンだったこともあり、開明的な人だったんですよ。仏教界が市井の人に身近に感じられるにはどうすればいいのかといろいろと工夫していました。
――それで坊主バーを始めてみたと。
源光:とはいえ決定打があったワケではなく、さまざまな試みのうちのひとつだったようです。ただ、始めたら世間の評判もよくて、若い坊さんの賛同者も現れた。仏教界に変化を与えることができたんです。
仏教界からの賛否両論があったなかで、彼はめげずに頑張ったんですね。そのことで現在の坊主バーにまでつながる活路が開けました。