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白い光は“青”から生まれた!ノーベル賞に輝いた奇跡のLED開発物語【実は日本が世界初】

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白い光は“青”から生まれた!ノーベル賞に輝いた奇跡のLED開発物語【実は日本が世界初】

身近な道具や日用品が、日本で実は生まれていたという歴史を紹介する本連載。今回は、私たちの日常を照らすLED(発光ダイオード)、特に青色LEDについて紹介します。

世界の照明を一変させた日本人たち

LEDは、皆さんの暮らしに欠かせない存在だと思います。例えば、家庭内の照明、スマホのライト、交通信号、街灯、車のヘッドライトなど、挙げればきりがありません。

今では、どこにでも当たり前に存在するLEDですが、赤色、黄緑色は半世紀ほど前から開発されていたものの、青色の開発だけが長らく遅れていたとご存じでしょうか。

赤、緑、青の光の三原色(RGB)が全てそろわないと白色の光がつくれません。白色の光が出せなければ部屋の照明などに使いづらいため、LEDの本格的な普及のためには青色の開発が鍵となっていました。

そこで、世界の研究者たちは、青色LEDの開発に挑み続けます。しかし、エネルギーが大きい青色LEDは技術的な壁が高く、20世紀のうちに実用的な製品はつくれないとまで言われ、停滞が続きました。

その壁を突破し、量産化を成功させた日本人たちがいます。赤﨑勇さん、天野浩さん、中村修二さんです。

「高輝度、省エネルギーの白色光源を可能とした高効率青色発光ダイオードの発明」(文部科学省の資料より引用)をしたとして後に、ノーベル物理学賞を受賞する3人は、不可能とされた青色LEDをつくり、世界の照明を一変させたのですね。

自然界に存在しない発光層

そもそも、青色LEDを最初に誕生させた人は、名古屋大学工学部の赤﨑勇教授(当時)でした。

赤色、緑色のLEDが世の中に誕生し、青色LEDの開発にも多くの研究者が挑戦していた1960年代、自然界には存在しない、ガリウムナイトライド(GaN)の単結晶づくりに赤﨑さんは取り組み始めています。

ガリウムナイトライド(GaN)の高品質な単結晶づくりは、青色LED完成のために大事だと考えていたからです。

その赤﨑さんの挑戦に、当時は名古屋大学の学生だった天野さんが参加し研究が続きます。しかし、なかなか開発はうまくいきません。その当時を振り返り「我一人荒野を行く」(「ノーベル賞発明「青色LED」開発の歴史と特許」より引用)心境だったと赤﨑さんは表現します。

しかし、1966年(昭和41年)に始まった研究から約20年後、ひとつの転機が訪れます。名古屋商工会議所で、名古屋大学における半導体研究の概要を赤﨑さんが説明する機会があり、その説明を聞いた豊田合成(本社:愛知県清須市)という会社が、自動車部品事業に次ぐ事業の柱として赤﨑さんの研究に着目し共同開発を打診します。

その赤﨑さんと豊田合成の共同開発に、さらに、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)が関与して、産学官連携プロジェクトが発足します。1987年(昭和62年)の話です。

装置の故障で偶然生まれた産物

事業団からの数億円の開発費用が出資され、その開発費用を基に研究が進む中で、画期的な発明に赤﨑さんらはたどり着きます。まず、青色LEDの基盤となりガリウムナイトライド(GaN)の高品質の結晶づくりが、手づくりの成長装置の故障により偶然にも成功します。

もともと、ガリウムナイトライド(GaN)は、単独の鉱石として地球上に存在していないので、人工的につくらなければいけません。

その単結晶づくりが何度やっても(1,500回以上実験しても)成功しませんでした。しかし、成長装置が故障し、加熱が十分に行われなかった日がありました。

「どうせ、失敗だろう」と天野さんは試料を取り出し、よくよく調べて見ると偶然にも、自然界に存在しないガリウムナイトライド(GaN)の単結晶が完成していました。研究が、大きな一歩を踏み出した瞬間です。

ただ、基盤となるガリウムナイトライド(GaN)の完成だけでは青色LEDにはなりません。そのガリウムナイトライド(GaN)を今度は、性質の異なる2つの層(p型とn型)でサンドイッチし、半導体構造(異なる性質を持った半導体の層を重ねた構造)にして光らせる必要があります。

この半導体構造の開発にも困難が伴いました。しかし、見事にクリアして、実用化への道を赤﨑さんらは切り開きます。

開発した人と、量産化した人

一方で、この赤﨑さん、天野さんの基礎研究を参考に、独自の方法で青色LEDを開発し、世界で初めて実用化・量産化にこぎ着けた人がいました。後に、カリフォルニア大学の教授になり、ノーベル賞を受賞する中村さんです。

中村さんは当時、日亜化学工業(本社:徳島県阿南市)に所属するエンジニアでした。

この中村さんは、赤﨑さんらとは異なる独自の低温成長法を駆使して、高品質のガリウムナイトライド(GaN)を生み出し、半導体構造についても独自の方法で成功させ、実用化・量産化にこぎつけました。

世界初の商用高輝度青色LEDライトを日亜化学工業が商業生産した時期は1993年(平成5年)です。青色LEDと蛍光体の組み合わせで白色LEDライトを商業生産した時期は1996年(平成8年)でした。

一方、産学官連携の名古屋大学、豊田合成、新技術事業団が青色LEDを商業生産した時期は1995年(平成7年)です。

いわば、開発した人と、商業販売し量産化した人が、異なるのですね。

当然ですが両者は、歴史に残る大型の特許権訴訟に突入します。しかし最後は、6年の訴訟の時期を経て、お互いが訴訟を取り下げ和解に至っています。

いずれにせよ、青色LEDライトは日本で生まれ、商業販売され、世界に普及し、世界の明かりを劇的に変えた点は間違いがありません。

世界を、新たな光で埋め尽くす

スウェーデン王立科学アカデミーも、青色LEDについて「世界を、新たな光で埋め尽くした」と評価しています。

“Blue LEDs – Filling the world with new light”(スウェーデン王立科学アカデミーのドキュメントより引用)

スマホや自動車のヘッドライトなど、身近にあるLEDライトをあらためて確かめてみてください。

何気なく白く光るライト、この開発の背景には、日本人たちの奮闘が詰まっています。そう思って見れば、いつもよりも明かりが神々しく感じるかもしれませんね。

[参考]
※ Blue LEDs – Filling the world with new light – Kungl Vetenskapsakademien
※ ノーベル賞発明「青色LED」開発の歴史と特許 – 太田光一
※ 2014年ノーベル賞受賞の青色発光ダイオードの発明、LED照明の普及とこれからの展開 – 文部科学省
青色LED訴訟、全面和解の件 – 豊田合成

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