bizSPA!

乾電池は日本発祥!?万博&戦争で注目された意外な歴史【実は日本が世界初】

スキル
乾電池は日本発祥!?万博&戦争で注目された意外な歴史【実は日本が世界初】

私たちが日常生活で当たり前のように使っている多くの技術や製品。それらの中には、実は日本で最初に開発され、世界中で普及したものが少なくありません。そんな意外と知られていない「日本が世界初」な技術や製品を紐解き、それが生まれた背景や世界に与えたインパクトなどをクローズアップします。今回は、おそらく誰もが一度は使った経験のある乾電池に関する世界初を紹介します。ただ、実際には諸説あり、登場する年号や時系列も資料によって異なるので、ひとつの説として最後まで読んでみてください。

「湿」電池から「乾」電池へ

乾電池のイメージ
©️PIXTA

乾電池、当たり前に使う言葉ですが、よくよく見ると「乾」+「電池」という言葉の組み合わせ出来ています。「乾」電池があれば「ぬれた」電池もあるはずで、電池の歴史は実際に「湿」電池から始まります。

アレッサンドロ・ボルタというイタリア人が1800年(寛政12年)に世界で初めて、使い切りタイプの電池(一次電池)の端緒である「ボルタ電池」をつくりました。

この「ボルタ電池」はいわゆる湿電池(wet cell)で、酸性の液体(電解液)の中に亜鉛板(-)と銅板(+)を入れ、両方の板を導線でつないだ構造でした。

マイナス極の亜鉛版から、亜鉛イオンが電子を残して電解質に溶け出し、残された電子が導線を伝ってプラス極の銅板に移動します。この電子の移動によって電流が発生し、電気が生じる仕組みです。

この「ボルタ電池」は、1854年(安政元年)のペリー来航の際に将軍への献上品に含まれていたそうです。しかし、液体の電解質(電解液)を使用している以上、外部への漏れが生じ、電池反応によって内部金属の腐食も生じました。

そこで、この湿電池を、持ち運びが容易で、内部金属の腐食が生じにくい電池に改良していく歴史があり、乾電池(dry cell)がその過程で生まれたのですね。

完全な乾式電池の完成

この乾電池の発明において、屋井先蔵(やいせんぞう・さきぞう)という日本人が極めて重大な役割を果たしたとされます。「世界で初めて乾電池を発明した人」として屋井さんを評価する意見もあります。

湿電池である「ボルタ電池」から乾電池が生まれるまでには、屋井さんを含めて何人もの偉人たちの名前が出てきます。

まず、湿電池そのものが、ジョルジュ・ルクランシェさんというフランス人によって1866年(1868年との説も)に安定化した電池に改良されます。

しかし、ルクランシェさんの改良では、電解質が液体である点は変わりがなく、外部の液漏れと内部金属の腐食は課題として残りました。

そこで、カール・ガスナーさんというドイツ人が「ルクランシェ電池」の改良版を1886年(明治19年)につくります。液漏れの原因となった液体の電解質(電解液)をゼリー状にして(固形化して)、外部に漏れにくい半乾式の電池をつくりました。

この電池は、マンガン乾電池の原型と呼ばれます。しかし、内部金属の腐食の問題は依然として克服されていませんでした。

ちょうど同じ時期の1887年(明治20年)、日本人の屋井先蔵さんが今度は、一歩先を行く発明をしたと東京理科大学(屋井さんの母校)の学報が伝えています。

電気で正確に時を刻む電気時計を製作していた屋井さんは、電源に使っていた輸入の湿電池(液体電池)の液漏れと内部金属の腐食を克服する電池づくりに独自で挑みます。

さまざまな試作を重ねた末に、液体の電解質(電解液)に石こうを混ぜてのり状に固め、外部漏れを克服します。

さらに、内部金属(プラス極)の腐食については、石油から分離した白色半透明の固体(パラフィン)でプラス極の炭素棒を固め、腐食を大幅に防ぎました。

要するに、屋井さんの発明をもって、完全な乾式電池の完成が実現したとされるのですね。

軍用乾電池としてブレイク

ただ、屋井さんは同時期、特許の出願をすぐに行えませんでした。特許の申請費用を工面できなかったからだとされています。

結果として、国内でも国外でも、乾電池に関する特許第一号は別の人の名前で登録されました。

しかし、開発から数年後、帝国大学理学部がシカゴ万博に地震計を出品した際に地震計以上に乾電池に注目が集まります。

ようやくそのタイミングで屋井さんは、屋井乾電池合資会社を設立すると共に特許取得に動いたとされます。

さらに、1894年(明治27年)~1895年(明治28年)に起きた日清戦争で軍用乾電池として屋井乾電池が使用されると注目度は一気に高まります

ある日の号外で、満州における軍用乾電池の活用が報道され、国内での認知度が一気に高まったそう。

1904年(明治37年)~1905年(明治38年)の日露戦争でも屋井乾電池の需要は高まりシェアを伸ばしていきます。

さらに、屋井さんは、生産・販売体制を整え量産化に成功し「乾電池王」とまで呼ばれるに至ります。

乾電池の発明には諸説ありますが、屋井さんの功績は2014年(平成26年)、電気・電子工学、および情報技術の分野における歴史的に重要な技術的業績を公式に顕彰する制度IEEE(アイ・トリプル・イー)マイルストーンにも正式に認定されています。

その歴史を踏まえて、日ごろ使う乾電池に目を向けてみると、ちょっと違った感動が得られるかもしれません。ビジネスの雑談などでも、ぜひ生かしてみてくださいね。

[文・坂本正敬]

[参考]
「日本の一次・二次電池産業の誕生と成長1893」IEEEマイルストーン贈呈式(2014年4月12日) – IEEE
屋井先蔵(発明家)電気の時代を先取りし「乾電池王」と呼ばれた発明家 – 三菱電機
乾電池の発明(屋井先蔵) – 国立公文書館
※ 日外アソシエーツ〈20世紀日本人名事典〉
※ 朝日新聞出版〈朝日日本歴史人物事典〉
丁稚から乾電池王に!屋井先蔵がうみだした「電気を持ち運ぶ方法」 – マイ大阪ガス
電池のしくみ – Panasonic
電池の中はどうなっているの(何が入っているの) – 学研
電池のしくみについて – 電池工業会
※ 乾電池王とよばれた男 ─ 屋井先蔵の生涯

〈bizSPA!〉元編集長。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉創刊編集長。国内外の媒体に日本語と英語で寄稿し、翻訳家としては訳書もある。技能五輪国際大会における日本代表選手の通訳を直近で務める。東証プライム上場企業の社内報や教育機関の広報誌でも編集長を兼務しており、広報誌の全国大会では受賞経験もあり。

おすすめ記事