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好きを仕事にするなら「他人がやらないことで道を開き、がむしゃらに進む」80歳現役の航空写真家の教え

「好き」を仕事にできているだろうか。幾つかの調査結果を見ると、だいたい半数弱の人が「好き」を仕事にしているらしい。

裏を返せば半数以上の人が「好き」を仕事にできていない。どうせ働くのであれば「好き」を仕事にできた方が幸せではないだろうか。

そこで今回は「好き」を仕事にした大先輩に「好き」を仕事にする方法を学ぶ。話を聞いた相手は、民間航空機を撮影する航空写真家の青木勝さんだ。

結論から言えば、青木さんの答えは「他人がやらないことで道を開き、がむしゃらに進む」だった。

どのような意味なのか。最後までぜひ読んでもらいたい(以下、航空ジャーナリストの北島幸司さんの寄稿)。

最高の製品を最初から使う

今年80歳を迎える青木勝さんは、オールモノクロの写真集〈JET JET JET〉を1970年代に出版し一躍有名になった人だ。

東京の半蔵門にあるJCII(日本カメラ財団)にて現在、写真展〈NOSTALGIC WINGS 1970-1995〉が開催されている。

写真展会場には、全59点の白黒写真が飾られている。青木勝写真展〈NOSTALGIC WINGS 1970-1995〉は2024年(令和6年)6月2日まで

そんな青木さんも、好きな仕事(民間航空機の撮影)に巡り合ったタイミングは社会人になってからだった。

早くに父親を亡くし苦学生だった青木さんは、写真スタジオで日中働き、夜学で高校を卒業した。

立木義浩さん(著名な写真家)などを輩出した東京写真短期大学(現・東京工芸大学)に入学し、報道写真家を目指すようになる。

ただ、プロの写真家を目指すとなると当然、そろえなくてはならない機材が出てくる。

周りの先輩は、後戻りしない、本気で仕事に取り組む意思を表明する意味で一流の機材を青木さんに勧めた。

普通はこの時、無駄になるかもしれないだとか、学生でお金がないだとか、徐々にいい機材にしていこうなどと考えがちではないだろうか。

しかし、青木さんは、写真家の道に入る覚悟を決め、先輩の声に従って、母親の半額補助を受けながらも〈NIKON F〉というカメラを購入した。

〈NIKON F〉とは、ニコン製一眼レフカメラの原点にして基礎となる名機中の名機だ。

何かやりたい夢があるのであれば、後戻りできないように自分を追い込むためにも、最初から投資を惜しまない方がいいという教訓だろうか。

最高の製品を最初から使った方が最終的に成功に近付けると青木さんも言う。大きなヒントになるはずだ。

退職後も人脈を大切にする

東京写真短期大学を卒業後は、50人に1人の競争率を勝ち抜きスポーツニッポン新聞社に入社した。

後に、フリーランスの写真家となるのだが、その段階では青木さんは飛行機に出合っていない。

スポーツの他にも旅や文化系、日本万国博覧会(大阪万博)の撮影などを経験していた。その最中に、航空機の撮影に出合うタイミングが訪れる。

世界中を撮影して周りたい目標が芽生えたころ、JAL(日本航空)が嘱託カメラマンを募集していると人づてに聞き、応募すると採用された。当時、青木さんは「第2新卒」と言われる26歳だった。

JAL(日本航空)が、ジャンボジェット機の導入もあり、破竹の勢いで経営を拡大していたころでもある。

マニアなら泣いて喜ぶ、社員でしか知りえないような現場が青木さんの仕事場となった。

「誰よりも現場に居た時間が長かった」と自負するくらい現場に通い詰め、四六時中飛行機を学び、洋書も含めて読みあさり、誰も撮らない写真を撮りまくった。

飛行機だけでなく、世界中の運航や整備、空港の現場、社内部署、社長・役員などの人物撮影も行った。

飛行機が好きになり、生涯の目標とする被写体となった時期はまさにこの時だ。

国産YS-11機のコックピットにて(ご本人提供)

さらに、自身の代表作となる写真集〈JET JET JET〉が古巣のスポーツニッポン新聞社から発刊された。

新聞社から発刊された著作を持ち、写真家としての自信も付いて、独立しプロになる踏ん切りも付いた。退職後も、人脈が続いていたからこその話である。

好きな事に向き合うからこそ情熱は途切れない

仕事に役立つライセンス取得への積極性も青木さんの特徴である。

アメリカなど海外で航空取材をしていると青木さんは「パイロットライセンスを持っているか」と聞かれる場面が多かったらしい。

航空に携わるプロは、たとえカメラマンであったとしても、操縦できて当たり前の環境だった。

負けたくない思いで青木さんは、カリフォルニア州ブラケットフィールド空港で3カ月かけて、自家用航空機操縦ライセンスを取得した。今では、航空への興味の中で操縦の占めるウエイトは大きいと言う。

ただ、もちろん、興味関心の中心は今でも撮影にある。

「体が動くうちは生涯、一飛行機カメラマンとして撮影を続けます」

と青木さんは語る。

「飛行機は、夢を形にした乗り物だ。これほど撮影の醍醐味(だいごみ)を味わえた被写体は他にはない」

と断言する。その言葉どおり、青木さんは精力的に動いている。

世界にはまだ、青木さんですら行ったことのない空港があり、例えば、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるサントスデュモン空港などは訪れたい空港の1つだと教えてくれた。

2024年(令和6年)12月には、成田にある航空科学博物館にて〈青木勝747写真展〉が開かれ、57点の写真パネルが展示される。

クラブツーリズムの飛行機撮影ツアーも2回予定されており、講演会の開催なども控えている。撮影意欲は衰えない。

好きな事に向き合うからこそ、達観したプロの境地に立ちながらも、情熱が途切れないのだ。

「好き」を仕事にしたいと考える若いビジネスパーソンにとって参考になる生きざまではないだろうか。

この文章を読んで何かを感じた人は、写真展〈NOSTALGIC WINGS 1970-1995〉に足を運んでみると、また何かを感じられるかもしれない。

[取材・文・撮影/北島幸司]

[参考]

仕事や自身の能力に関する意識調査 – Indeed Japan

航空会社勤務歴を活かし、雑誌やWEBメディアで航空や旅に関する連載コラムを執筆する航空ジャーナリスト。YouTube チャンネル「そらオヤジ組」のほか、ブログ「あびあんうぃんぐ」も更新中。大阪府出身で航空ジャーナリスト協会に所属する。Facebook avian.wing instagram @kitajimaavianwing

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